そういえば最近ブログを更新していないなと思って前回の記事を見たら4月!いつのまにか小学校は夏休み!こんなに長い間、いったい何があったんだ・・・。ちょっと可能なかぎり思い出してみよう。

長男坊が生まれて初めて歯医者で抜歯したり、ウニャ子が転んだ拍子に既にグラグラしていた歯が抜けたり、妹夫婦のところに子どもができたり(9月下旬が予定日。それにしても自分の妹が親になるというのも不思議な感覚だ。)、子どもの頃ファミコンソフトを買って以来、約27年ぶりぐらいに「自分が欲しくて」ゲームソフトを買った。(ブックオフで)

ペルソナQ シャドウ オブ ザ ラビリンス - 3DS

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そして子どもたちはアニメ『ジョジョの奇妙な冒険 スターダスト・クルセイダーズ』そして『ペルソナ4 ザ・ゴールデン』にはまっている。
前年度に続いて看護学校で論理学、そして今年度から新たな非常勤先(やはり医療系)で芸術論と、なんだか両極端な授業を文字通り自転車操業的に授業準備も含めて徹夜することも多かった。
徹夜が悪いとは言わないが、自分の要領の悪さにもうんざりだったし、仕事先までの車での移動も考えるとかなり身体に負担だった模様。6月頃は明らかに6月病というか、鬱っぽい感じだった。
特に2年目の論理学は、何をするにしても2年目というのはいろいろ難しいものがあるのだが、学生たちの雰囲気が昨年とあまりにも違っていて生まれて初めて心労というものを感じた。これまでの人生では考えられないことが多すぎて・・・。小中高の学校の先生はいつもこんな感じなのだろうかと思うと、ほんとうに大変な仕事だと思った。
しかし、彼らはこれまでそういう風に育ってきたし、そういうことが常識的におかしいということもよくわかってないのだろう。といっても所詮は学外の非常勤講師。そこまで踏み込んで説教じみたことを言うのも無責任というか、無意味だろう。

芸術論の授業は、本気出せば400人以上入る大講堂でやるので、黒板やホワイトボードは不可能(一番後ろの席からは見えない)。毎回30〜40枚スライドを作ってひたすら喋り続けた。ちょっと頭おかしくなってたかもしれない。医療系の大学で芸術の授業ということに一抹の不安がなかったといえば嘘になる。しかし、毎回書かせるアンケートにはみんなびっしり感想や意見を書いてくる。どれもなかなか深く考えている。そうした意見を拾って次の授業で(名前は伏せて)紹介する。授業でとりあげる作品や理論によってはかなり意見が割れたが、それもまた良し。不安だらけで臨んだ授業だったが、自分にとっても大きな収穫となった。(すごいありきたりな表現だが)

そして、ついに実家家屋の解体と土地の売買が成立。3年越しの案件も解決だ。
家の解体からは早かった。あっというまに買い手がついてあれよあれよと売買契約。流れに乗るとはこういうか。
それにしても、親が建てた家を自分が解体するなんて、不思議だ。笑ってしまう。売買の手続きも、妊娠中で欠席した妹の委任状を作ったり、土地の権利書その他諸々書類をそろえたり、確かにマンガ読んだりするのに比べれば神経使うが、手順さえ踏めばどうということはない。「こういう書類が必要です」「ここの割印を押して下さい」等々・・・そんな一連の流れをシステマティックに踏むだけの話だ。
最後は銀行の応接室…のようなちゃんとした部屋に通され、司法書士の先生同席で契約書や領収書にサイン。
しかしこのときばかりはさすがに緊張していたのか、ひたすら振られた世間話を膨らませたり自分の経験談を交えて面白おかしく誇張したり、とにかく場が和むように、みんなが笑い続けるように喋り続けた。特に買い手の人たちは小さい子どもがいる若い夫婦だったので、怖い人・ヤバイ人と思われないように気を使った。
今思うと、もう会うこともないだろうし、そんな気を使う必要はなかったと思われるが・・・。
昔は「気を使って自分から話す」なんて性格的にも無理だし、そんなことに意味を見出すこともできなかったが、、今のような仕事のせいか(週一回200人以上の前で90分話し続ける)、その気になればそんなこともできなくはない体質になっていた。もしかしたら逆に、もともとそういう気質のようなものは自分のなかに潜在的にあって、今はそれが出やすくなっているのかも知れない。
それはともかく、和やかな雰囲気で契約も終了。銀行の出て、不動産屋の事務所に戻りお茶のみながら何気なく張り出された売物件を眺めているとその中の一つに「おや」と思うものが。地図からするに、ちょうど小学3年生ぐらいまで住んでいた地域。記憶の地図と目の前の地図を重ねてみると、その売り物件はやっぱりよく遊びに行っていた友人の家だ。
まぁ、そういうこともあるだろう。

不動産屋と別れて、解体後の「実家」をはじめて訪れる。ずいぶんとあっさり更地になってくれたものだ。

とにかく息苦しくて窮屈に感じたこともある実家だったが、更地になると以外に広い。ちょうどとなりに住んでいた人が通りかかる。挨拶を交わし、すこし立ち話をする。このあたりも古い家が取り壊され、新しい住宅が増えているとのこと。別の隣家から、偶然、同級生が出てきた。会うのも話すのも20年以上ぶりだ。最近離婚して、いま新しい職を探しているらしい・・・。人生いろいろだ。

実家のある町にはほかに親戚もいないし、出身地…というのだろうか、そういうものとはこれで実質的に縁が切れることになった。物心つくまえから住み、そして育った土地と縁が切れるというのは不思議な気がする。入れ替わるように大学の同級生がこの町の近辺に住み、しかもその職場が実家のあった土地から歩いて10分ほどのところだというのは不思議な気がするが、もうこの町に自分が帰る場所はないのだと思った。