きのう、学生時代所属していたサークルの試合に審判員として呼ばれて行った。

年に試合は数回あるのだが、今回はその中でも今年度は最後。四年生にとっては引退試合である。

はっきり言って、下手すると10も歳が違いそうな後輩たちだが、その年頃に特有の、不器用さとか、気の利かなさとか、一杯いっぱい加減とか、ひたむきさとか、「自分に対して」なのか「他人に対して」なのかなんだかよくわからない迷走してしまう厳しさとか、そういうところは変わらない。

あの頃は、自分の他人に対する厳しさほどに自分の自分に対する厳しさが充分なのだろうかとか、そういうかなりネクラなことを考えたりしていた。

そして、もし他人に対してほどには自分には厳しくない自分に気づこうものなら、俺はダメ人間かばかりに自己嫌悪に陥って、しかもそういう自己嫌悪ってある種のナルシシズムなんだよねとかチクチク突いてくるもう一人の自分がいたりして、けっこう自分のなかでは暗い時代だったのかもしれない。

でも、そういうネクラ具合とか、一杯いっぱい加減とか気の利かなさ(そういうところだけは今でも全然変わってない)とか、そういうものを無かったことにするのはやっぱり間違ってると思うし、意味わかんないけど気合だけで乗り越えようとするような、ほぼ人間サンドバックかパンチドランカーかというあの頃、あの年頃は、ある意味でいまでもすごくすっぱいぐらいに眩しい。

後輩たちと接していてときどき感じる心の中の変な渦巻きはそういうとこと関係あるのかもしれない。

だから、最近これが理想だよなと思うことの一つは、いっそのこと一周して「あれ、同じところに出ちゃったよ」という感じだ。
一周したとき、それを忘れたり、無かったことにしていないかぎり、同じだけど違うものに、違うけど同じもののように見えるかもしれない。


試合当日は、それまでに何度か練習で会って、ちょっと顔なじみになった後輩たちが優勝して、ほんとに良かった。ここで一番言いたかったことはこのことだ。