■
今年はじめて聴いた音楽は何だったのだろうと考えるとよくわからない。日付が変わった時間もテレビを見ていたから、正確にはその効果音とか、鐘の音とか、CMの曲ということになるのだろうが、ちゃんと聴いたといえば、車に乗った時に流れていたYMOのライディーンだろうか。
しかし、自分で選んで、CDプレイヤーのトレイに乗せたのは何かというと、チェリビダッケ指揮の「こうもり」序曲ということになる。
最近、シュトラウス一族のワルツが個人的に、かなりきている。
リッカルド・ムーティも去年インタビューで言っていが、単に軽快で愉快なおめでたいだけの音楽ではないと最近、思えてきた。
音楽の中では、悦びとはかなさと悲しみとが紙一重に、一緒になってグルグル回っている。
もし誰かが泣いているとしても、それが爆笑の涙なのか悲しみの涙なのかもわからない。
だからこそ、どんなに時代が変わっても彼らの音楽は生き続ける。
そういえば初めてそんなことを思ったのはカルロス・クライバーが東京公演でのアンコールで演奏した「こうもり」序曲の録音を聴いたときだったかもしれない。
10代や20代前半のころはそんなこと思いもしなかった。単にうかれた、表面的で底の浅いものぐらいにしか思わなかった。
シュトラウスのワルツよりもベートーベンやブラームスの壮大なシンフォニーが、そしてグールドのバッハのほうがそのときの僕にとっては大問題だった。でも、そんな考え方のほうがずっと浅かったのかもしれない。
村上春樹の小説の中で登場人物が、天才とは冗長さを回避する能力だと言っていた。
もちろんベートーヴェンやブラームスの音楽が冗長だと言っているのではない。彼らの音楽を冗長さと同一視することはできない。
しかし、その重厚さや深刻さをありがたがり、まるで自分自身が重厚で深刻な存在のように思い込んでしまったかつての僕は、忌むべき冗長さや深刻さに足を絡めとられていただけだったのかもしれない。
そんな子どもにはきっと見えなかったものが、最近、ときどきチラチラと見えたりする。
とはいっても、見えたことも次の瞬間に忘れてしまうぐらいほんとにチラッとだけど。
Great Conductors of the 20th Century
- アーティスト: London Philharmonic Orchestra,Carl Nielsen,Felix Mendelssohn,Franz Berwald,Heinz Tiessen,Johann I Strauss,Johann II Strauss,Pyotr Il'yich Tchaikovsky,Sergey Prokofiev,Wolfgang Amadeus Mozart,Sergiu Celibidache,Danish National Symphony Orchestra,Swedish Radio Symphony Orchestra,Berlin Philharmonic Orchestra,Berlin Radio Symphony Orchestra
- 出版社/メーカー: EMI Classics
- 発売日: 2004/04/21
- メディア: CD
- この商品を含むブログ (1件) を見る