メモなど

sniff2004-11-13


最近、自分がやらなければならないことについてや、、そのための自分の姿勢とかについていろいろと反省点が山盛りなのだが、坂本龍一の本を読んでいるとつぎのようなところに目がとまった。

 
「『インヴェンティヴということ』と『即興』ということはイコールじゃない。」


坂本龍一は言ったうえで、このように続ける。

 
 「『インヴェンティヴ』って発明だから、そのときに必要な解を、構築的なやりかたじゃなくて、ポンポンと出していくイメージがあるんです。そのためにはやっぱり『教養』が必要ですよ。し かも、いつも自分を解放し、リラックス出来るようにしておかなくてはならない。」


もちろんここでの教養とは文字通りカッコつきの「教養」であって、いわゆる教養ではない。
しかし、それは後者の、いわゆる教養を含むものだと思う。

たとえば、発音規則や動詞の活用表を頭に叩き込むとか、化学元素記号を覚えるとか、「構築的ではない」ためには或る程度まで構築的でなければならないし、構築的/非構築的の二分法を越えなければならない。両者は絡み合っている。

構築性を閉じたシステムとして硬化させるのではなく、開かれたシステムへと変換する必要がある。
しかし、「いつも自分を解放し、リラックス出来る」ようになるためには今の僕はあまりにも「空っぽ」なのだ。あまりにもその空虚は致命的だ。


 「僕がイメージするインヴェンティヴな音楽というのは、今つくられている音が、その隣り合っ た、まだない可能性の未来の音に対しても正解であるような「部分」を紡ぎ続けてゆくというイ メージなんです。データベースからの検索とか、全体と部分の整合性とかいうのではなくてね。」


大野一雄は煮詰まって立ち止まってしまい、踊りが止まってしまった塾生にこう声をかけた。
「フリースタイル!」

結局、今の僕には構築的な努力がもっと必要だということだ。


引用はすべて、坂本龍一後藤繁雄:『skmt』ISBN:4947648961 より