sniff2004-11-19

その前にも別の展覧会で観たこともあったし、今回の展示も初めて観るわけではないのに、今日、その一枚に感じた印象は不思議なほどに、ふだんは別段気にしてなかったのに気づいたらすごく近くに来ていてちょっとびっくりしたような感じに似ていた。

その絵のタイトルのごとく、今日は本当に「午後からは晴れ」になったが、そんなタイトルというものもこの際、きっとどうでもいいのだろう。

もう先月のことだが、10月30日には画家本人によるギャラリートークも行われ、僕も聴きに行ってみた。

ところで坂本善三美術館は九州は熊本県阿蘇の小国町にある美術館である。
古民家を移築したナイスなルックスもさることながら、日本では唯一の畳敷きの美術館である。
だから、畳の上に寝転がって観てもオーケー。


このギャラリートークのために関東などから来た人も含めてすごい人の数で、ただでさえ小さいこの美術館がすぐに一杯になってしまった。ときに起こる爆笑など、かなり盛り上がったギャラリートークだった。

こういうふうに、作家自身が語る場合、どうしても作品解題というものをわれわらは求めてしまう。しかし、野見山自身が当日も語ったが、その著書『うつろうかたち』ISBN:458283177Xっている。


「絵と言うものは、ほんとうは解説をやっちゃいけないもので、皆さん、絵は黙って見ていれば、それでいいのだから。この会場が満席になって入れなかったと文句をいっている人がいるけども、あの人たちは実は幸福なんです。僕の話を聞かないで、ずっと絵がみられるのだから、ここで解説を聞くようなことは、どうも、ほんとはバカバカしい。まあ、いいや(笑)」


とはいえ、そうは言われても、やはり何か聞きたいと思うのだが、もちろんどこにも答えなどないのだろう。もし作者本人が「この絵はあれそれを描いたもので・・・」と言ったとしても、それは嘘になる。
語るのは作品それ自身でしかない。
いちばん大切なことはいちばん語られないことなのかもしれない。


この美術館の由来となっている坂本善三とパリで出会ったとき、どうしてよりによってパリで、しかも日本でも珍しいような、立派な髭を生やした侍のようなデカイ日本人と出会ったのか不思議だったらしい。