今日もひっそりと本やCDを大人買い

一冊目は最近何かと話題になっているようなので買ってみた。

妻が「自分の顔が許せない!」ISBN:4582852351中村うさぎにはまっている。

池波正太郎は全然買う予定は無かったのだが、表紙の絵に一目惚れ。そして「猫」というエッセイを読んで即購入を決意。

小説の執筆にはたと行き詰る池波正太郎

そうした或日の夕暮れに、応接間で、ぼんやりと食事前の酒を飲んでいると、ネネが道路に面した塀の上に腹這いとなって寝ており、いつものように空間の一点を見つめたまま、身じろぎしない姿に気づいた。
(あんなとき、猫はいったい何を考えているのだろう?)
私は、いつも、そうおもい、犬などよりはずっと人間に近い生き物として猫を見るのだった。
「おいネネ。何を考えている?」

私が呼びかけると、ネネは物憂げにこちらを見て、ふたたび、顔をそむけてしまった。
その瞬間に、私は、
(しめた!!)
と思った。
押しても突いてもくずれなかった小説の壁に、ぽろりと穴が開いたのである。

                        (「猫」/池波正太郎『日曜日の万年筆』所収 より)

この後、池波正太郎は飼い猫ネネに自分の車海老を分けてあげる。よかったね。ネネ。

こんなふうに、猫に助けてもらうことって、よくありますよね。


そしてCD。タワー・レコードのセールで2枚。しかも今日はポイント2倍。

http://www.hmv.co.jp/product/detail.asp?sku=1862767

『20世紀の偉大な指揮者たち』というシリーズの中のひとつ。

チェリビダッケは激遅テンポの神がかり的なブルックナーブラームスのイメージが強い。*1

しかし、たとえば、TAHRAレーベルから出ている縦長2枚組みボックスに収録されている1950年代の演奏に顕著に現れているのは、そのフレッシュなスピード感、ドライなまでにクールな推進力。

どれも伝説化し、その死後流布したイメージとはまた違った魅力を持つチェリビダッケの姿だ。

もちろんどのチェリビダッケもすばらしいのだが、今日買ったこのCDにはそんなチェリビダッケヨハン・シュトラウス2世作「歌劇『こうもり』序曲」、そしてヨハン・シュトラウス1世作「ラデツキー行進曲」の録音が収録されている。

ちなみに手元にあるカルロス・クライバー指揮による「歌劇『こうもり』序曲」の演奏時間は7分42秒、そしてこのチェリビダッケの演奏は10分5秒・・・。

もちろん他にもレアな録音が多く収録されているようだが、とくにシュトラウス親子の作品をチェリ老師がどう演奏しているのかが楽しみ。

ジャケの怖さにつられて購入。

現代の鬼才(と言われる)アファナシエフのバッハ。
以前、ベートーヴェンのピアノ・コンチェルト3番と5番を聞いたとき、このまま止まるのかと思うぐらいテンポが遅くなる場面もあってドキドキした。
もちろん、演奏時間が早いか遅いかは表面的な問題であって重要なのは演奏家にとっての内部的構造的な必然性だ。*2

*1:もちろん、たとえば他にもベートーベンの交響曲集やバッハのロ短調ミサ曲、ラヴェルの「ボレロ」、ムソルグスキーの「展覧会の絵」、リムスキー=コルサコフの「シェラザラード」など、挙げればきりが無いが名演多数。

*2:たとえば、「わざと遅く弾いて受けを狙おう」とか、「早く弾いてビビらせよう」とかじゃなくて。