sniff2004-12-30


クライバーは熱狂的な人間で、かつ完璧主義者です。条件が整い、作品に対する自分のヴィジョンを実現する機が熟した、と感じたときだけ出演に同意するのです。以上の条件のために、カルロスは自分のところに来た―全世界から―招待をほとんど断っているのです。
(中略)
しかし次に述べることはみな重要です。この“気難し屋”の指揮者には、熱狂的な支持者がいるということ。数少ない登場は心待ちにされ、熱狂的に迎えられること。演奏者もクライバーには例外的に、心からの尊敬をもって暖かく指揮に応えること。そして現代の生活や音楽界の習慣に染まらなかったが故に、当代最も重要な指揮者の一人になったこと。
                『WAVE 31 カルロス・クライバーペヨトル工房,1991年, p.16

今年も自分にとってのスターが何人か逝ってしまった*1

そのなかでもカルロス・クライバージャック・デリダの死は何かとてつもなく重くて虚しいものを残していった。

もちろん、彼らが生きている頃からのよいリスナーだったとか、よい読者だったとかそういうことを胸を張ってなんてとても言えない。

でも、いつも世界のどこかで自分たちと同じように息をして、食事をして、冗談を言い合い、ある人はいつになるかは分からないがその全存在ともいうべき音楽を、そしてある人は今までどおり毎月のように新刊を届けてくれてくれると信じて、彼らのディスクを聞き、著作を読んできた。

でも、どんなに確固としたものだと思っていても、それはとつぜん姿を消してしまう。
って言うか、そもそも確かなものなんてない。

年末とか新年とか、そういうときに必ず思い出すのは子どもの頃みたアニメの「一休さん」のあるエピソード。

みんながお正月だ、めでたいだと浮かれているときにガイコツ片手に町中を歩いてみんなに縁起がわるいと石をぶつけられる一休さん。流血。涙するさよちゃんと弥生さん*2

でも、なんだかメメント・モリだ。

*1:とか書いてる途中に、スーザン・ソンタグ死去のニュースを知る。

*2:桔梗屋の娘。たぶん。