今年初めて購入した本

反時代的毒虫 (平凡社新書)

反時代的毒虫 (平凡社新書)

自分にとって新作を追う(価値があると考えられる)数少ない人のうち1人の本が新刊コーナーに並んでいるのを発見。多少、車谷氏の考え方や思いつめ方についていけないところもあるが、即購入決意。内容は意外にも対談集である。

車谷氏の本との出会いはかなり厳しい。
もう5年以上前のことだが、自分にとって将来どころか現在も見えておらず、八方ふさがりな時期(それは今でもたいして変わってはいないのだが)に、新潮文庫から出ていた『鹽壺の匙』を手に取ったのがきっかけだった。

鹽壺の匙 (新潮文庫)

鹽壺の匙 (新潮文庫)

しかし、そこに何か、苦しい状況を打破するようなことが書いてあったわけではない。

毎日田んぼで土仕事をする父や母が、手の爪を切っている姿を見たことは一度もなかった。私の手の指に伸びた爪を見て、母が「あんた楽爪やな」と言ったことがあった。
(中略)
それでも机の前でドイツ語の辞書を引き引き、ニーチェを読んでいると、母が近づいて来て、背後から黙って私を見ていることもあった。私は母の咎めを心に感じ、息を殺して辞書の文字を見ていた。
                     「吃りの父が歌った軍歌」/『鹽壺の匙』所収 より

もちろん具体的な状況は違うのだが、自分の居場所の無さからくる不安にフラフラになっていた僕はこの本をむさぼるように読んだ。

何がそんなにまで自分をひきつけたのかはよく分からない。
しかし、『反時代的毒虫』を読んでみて、思い当たるというか、もしかしたらこういうことだったのかもしれないと思えることがあった。
たとえば、白州正子との対談にこういう箇所がある。

車谷 小説を書くことと骨董買いってたぶん同じじゃないかと思うんです。
白州 何でも同じですよ。
車谷 生きるということが結局「買った!」という気合なんだな。
白州 そう。
                   「人の悲しみと言葉の命」/『反時代的毒虫』所収 より

自分とおなじように居場所の無い主人公への単なる過度の感情移入とかそんな単純なことではない。

そこに書かれている地獄のような内容とは裏腹に、氏の文体をとおしてギリギリでも生きようとする覚悟がビシビシ読むこちら側に伝わってきていたのではないだろうか。

中村 そうですか。いや例えばですよ、自分が困ったときに人から金を借りて助けてもらった。だから今度は自分にそういう役割が来た、というふうには考えられないですか。
車谷 ああ、それはないね。ぼくね、とにかく善意というものが嫌いなのよね。小説家になってからは、善意で考えたらとても書けないことを、悪意をもって書くというか、そういうことがしばしばありましたね。
     中村うさぎとの対談「覚悟の文学、命がけの消費」/『反時代的毒虫』所収 より

今年も、やっぱりついていきます。車谷さん。