久しぶりの大宰府。参道を歩いているとなんだか韓国からの観光客がすごく多い。
彫刻に穿たれた楕円の形の空洞が印象的な彫刻家 豊福知徳氏の展覧会。今日が最終日。あぶなかった・・・・。

もちろん作品もすばらしいが、今回は彫刻家自身が蒐集した骨董コレクションも同時に展示。
そして、そこには豊福氏の著書『愉しき西洋骨董』(新潮社、1984年)ISBN:4103555017れていたが写真でしかみたことがなかった「ロマネスクの犬」も。
写真とはいえ思わず一目ぼれしたこの犬の彫像「ロマネスクの犬」と初対面。

そういえば以前、70キロぐらいあるからイタリアから輸送するのが大変だとか話していたが、今回、ついにその姿をナマで見れたことがこの日いちばんの感激。

・・・南ヨーロッパカロリング王朝の支配、北方バルバロの侵略、ノルマンの征服、アラブの侵寇など、実にさまざまの変遷とそれに伴う文化の滲透をうけるわけだが、中世という一般に暗黒時代とされて来たこの時代が、暗いだけではなく、むしろ草創期の若やぎをもっているように僕には想えてくるのである。それは、ロマネスクの彫刻や絵画にひそむ人間の原初的な生命感というものを考えるとき、ほとんど決定的に見える。稚拙あるいは古式とも呼ぶべきその様式の内部に秘められた生命感は、暗黒だけの世界からは生まれて来ないように思われる。
 この犬の、のほほんとした表情をまず見てご覧なさい。暗い社会の中でしいたげられた工人にこのようなのどかな彫刻が造れるであろうか。また長く間のびした胴体や、足の具合はこれは一体どういう事なのか。
                          ロマネスクの犬/『愉しき西洋骨董』所収より

意外と大きいじゃないか・・・。もっとチワワぐらいなものかと思っていたのに・・・。でも、可愛い。
可愛いとはこのおそらく10世紀前後のものであろうれっきとした西洋骨董に対して失礼かもしれない。しかし、とぼけた顔とユルイ造型はそれでも決してだらしなくなることなくリラックス煙幕をふりまいている。おもわず煙幕に巻かれてしまったようにこの犬の彫像の前から足が動かない。

ぼくはこの犬を見て、ロマネスクが匂うと思った。
 これはしかし、名品というものでない。およそそのような概念からは縁遠いものである。名品がもつ、人を寄せつけない厳しさとはまったく正反対である。これを観るほとんどの人が好きになってしまう。人によっては手で撫ではじめる。
                          ロマネスクの犬/『愉しき西洋骨董』所収より

帰り際、豊福氏の作品やポートレートを撮っている写真家の人と偶然ひさしぶりに再会。あいわらずテンション高ッ!て感じが、また懐かしかった。