sniff2005-01-22

ku:nel(クウネル)3月号asin:B00078SDA4

昨日の朝、出かけるときにポストに入っていた。

雑誌の定期購読を申し込んだのはきっとうまれた初めてだと思う。

こどもの頃、親がパピーだかポピーだか、子供向け学習雑誌をよく買ってきてくれていた。しかしそれは僕の意思ではなかったから、やはり生まれて初めてだと考えていいであろう。

僕はかなり影響を受けやすい。
ちょっと本を読んだり、CDを聞いて感心したりするとすごく影響される。

このクウネルという雑誌を読み始めてからというもの、家の掃除や片付けをすることが多くなったり、荒れ果てた庭(今住んでいる借家には微妙にもったいない庭)を片付けて洗濯物干しスペースをつくったり、高山なおみさんの本を買って読んでは、半熟煮卵をつくって冷蔵庫に保存したりした。
今までどうでもいいと思ってたり、あるいは見て見ぬふりをしてきたものをどうにかしようと思うようになった。


もし強引にカテゴリー化するとすれば「スローライフ系」(そういうカテゴリーがあればの話だが)とかそういうものになってしまうかもしれない。なかなかこの雑誌を人に説明するのは難しい。現に、友達があまりいない僕は他の人に説明したことがない。


しかし、毎号、毎号、やられてしまうのだ。
どうして世の中にはこんなすごい人たちがいるのだろうと、いつも感心してしまう。
しかも今月号には実家の近くの吉井町の人まで出ている。

そして、しかしと言うべきか、ここが僕にとってはポイントなのだが、登場する人たちと自分たちが「同じ側」、「こちら側」にいるように思ってしまうのだ。

特に田舎暮らしの僕は激しく自己肯定かつ彼らに同化してしまいそうになる。

だが、そういう自己肯定感や安堵感は危険な一面があるような気もしないでもない。


もちろん、僕はこの雑誌の大ファンだ。
読むたびに発見があり、何度この雑誌を読む至福の時間に漂ったかわからないほどだ。
いつのまにかズズズと読むこちら側の座る場所がずらされて、あれ、こんな景色だったっけ?という感触はほんとに心地よい。

だからこそ、読むたびに、気を引き締めねば、と思う。

似ているが、違うのだ。

「うちもあとちょっとでこんな部屋になるじゃん!」とか良く思うけど、その「あとちょっと」がポイントで、この雑誌に出ている人たちのその「あとちょっと」の部分というものは、きっと彼らの「自分を律する」というところから生まれているのだと思う。

「自分を律する」と書くと説教くさいし、もしかしたら当人たちはそんなつもりもないのかもしれない。
彼らにとっては、そのスタイルはその存在と充分に重なり合い、そうでしかない、そうである以外にはないのかもしれない。

「律する/律しない」という問題は、律することができるかどうかが非常に問題であるような、まさに僕のような人間が懐く問題でしかない。

・・・と、こんなことをツラツラ考えてしまう時点でダメなのかも。