きのう本屋で見つけて即購入。

武満徹―その音楽地図 PHP新書 (339)

武満徹―その音楽地図 PHP新書 (339)

小沼純一といえば僕にとってはタワーレコードのフリーペーパー『ミュゼ』の連載が印象深く、期待大の気持ちで読んだ。
しかし、音楽家武満徹の全体像を簡潔に提示しようという気持ちのは分るのだが、あまりにもさらさらと書かれているように思える。

もちろん著者自身も言っているように、初めて武満徹の音楽を聞こうとする人への入門書的な性格を意図しているので、まあしょうがないかもしれないが。

新書という媒体なのでそれほど突っ込んだ話ができないのはしょうがないのかもしれないが、詳しい話は同じ著者の『武満徹 音・ことば・イメージ』ISBN:4791757009となのだろうか。

逆に、それだけ外部からの意味付けによっては捉えきれない多様な力が武満徹にはあるということかもしれないが。

武満徹の語ったことですごく印象に残っていることがある。

僕は、常に特別なインスピレーションが湧いて、ワァーッとピアノ弾いて突然作曲したとかねえ、昔の映画に出てきたベートーベンとかね、そういうふうじゃないんですよ。まるでホワイトカラーのように、ちゃんとどっかの銀行に働きに行くように音楽をやりたい。特別の仕事じゃなく、みんなが、ある人は銀行へ行ったり、ある人は商社に行ったり、あるいは工場に行ったりしてる、僕はたまたまピアノの前にいて作曲をしている、仕事をしているっていうふうになりたいんですよ。実験工房を始めた頃は、皆そういう考え方だったから。そういう頃でも芸術家タイプっていうのがあって、ネクタイなんかしないで、すごい長髪でこんななってて、こうなんかベレー帽かぶったりとか。それは止めようと。・・・(中略)・・・芸術家はちょっと変わってるとか変人だとかっていうのはだめだと。なんでもない普通のことなんだから。

カメラの前のモノローグ 埴谷雄高・猪熊弦一郎・武満徹 (集英社新書)

カメラの前のモノローグ 埴谷雄高・猪熊弦一郎・武満徹 (集英社新書)

初めて読んだときはちょっと衝撃だったけど、僕らはついつい、勤め/非-勤め(=創造的な仕事)の二分法にのっかって考えてしまう。

もちろんそこには区別がうっすらあるのだろけど、前者ではないということだけで前者で頑張っている人を見下したり、自分は創造的な仕事をしているんだと自分を特別視したり、芸術家はちょっとばかり退廃的じゃないといけないと思い込んでダラダラしたり、そういう考え方が皮相なものに思えてしまう。

でも、それは誰もが(当然、そこにはこれを書いている僕も含まれる)陥りやすいポイントかもしれない。