「三島由紀夫」とはなにものだったのか (新潮文庫)

「三島由紀夫」とはなにものだったのか (新潮文庫)

久しぶりに落ち着いて「読書」。ほんとに資料や論文以外のものを落ち着いて読んでいる今日この頃。まぁ、ひと段落した今のこの時期だけかもしれないけど。

ただし、もちろんぼっちゃんを抱きながら。

三島邸のアポロ像が意外とチャチだったという話から始まる出だしにもグイグイ引きこまれる。
作者は、同時代を生きながら、当時はそれほど熱心な読者ではなかったと述べているが、逆にそういう作者の視点は、三島伝説にクラクラした経験のある僕のような読者にはとても新鮮だ。
三島由紀夫はスターだったという話はよく聞くけど(その前提があるからこそ、われわれは三島をスターとして伝説として語れるのだが)、ではなぜ三島由紀夫がスターたりえたのかについてはあまり触れられない。しかし、この本の作者はこう述べている。

何が三島由紀夫をスターにしたのか。その最大の理由は、三島由紀夫が生きていた時代の人間が、みんな文字を読んでいたということである。みんな文字を読んで、「すごい文章が書けることはすごいことだ」という常識が、世の中には前提としてあったのである。その前提は、「すごい文章が書ける作家=スター」を可能にする。(p.20)

「当時の人がみんな文字を読んでいた」というのが本当かどうか、あるいは、そのことがどういう意味で言われているのか、ちょっとわからないが、しかし、小説家がスターになれる時代というのは、今ではとても考えられないが、幸せな時代だったのかもしれない。

もちろん、だからといってスターになれない今の小説家はダメだという考え方は全然見当違いであって、それぞれの時代には、それぞれの時代の戦い方があるのだ。

次の一文には、ちょっと考えさせられた。

今の人間なら、三島由紀夫の知性に対して、「その頭のよさにはなんか意味があるんですか?」という疑問をたやすく発せられるだろう。その疑問が公然と登場しえてどうなったか?日本人は、ただバカになっただけである。(p.23)