カルロス・クライバーのベト7ライヴ

やっと聴いたカルロス・クライバーの初出ライヴ。
http://www.hmv.co.jp/product/detail.asp?sku=1408539

前のめりの今にもブッ転びそうな疾走感で、あれよあれよと最終楽章。
この録音が実際のライヴの雰囲気をどれだけ伝えているのかはわからないが、DGに残したスタジオ録音よりもはるかに燃焼度は高い。
CDとSACDのハイブリッド盤だけれど、SACDプレイヤーで聴くとどういう風に聞こえるんだろう?こんど館長のうちで聴かせてもらおう。


おとといぐらいから、やけにクシャミが出るし、なんだか鼻がムズムズ、油断すると鼻水がタラーっと流れ落ちる。も、もしかして、か、花(以下自粛)?
ここ数年、まったく無かったのに一体どうしたことだろう?南国生活が長すぎて体が柔になってしまったのか?それとも、人の悪口ばかり言ってたから魂の格が下がって、ついでに免疫力まで下がってしまったのだろうか?
そんな鼻なのでいまいち匂いがわからないから、食べ物の味も実はいつもほど分っていないのだろう。う〜ん、やれやれ。

今日、妻がぼっちゃんを町主催の「子育てひろば」へ連れて行った。まさに社交界デビューだ。といっても、他の子と一緒にゴロンと横になってバタバタしていただけらしいが・・・。

去年書いた原稿用紙30枚の文章を原稿用紙3枚にまとめる作業。結論部分や、途中の部分を切り抜いて組み合わせれば早いかなと思ったが、書いた時期も違えばトーンも違う文章をつないでも何だかチグハグなので、結局、最初から新しく書くことにした。
元の原稿を読み返すと、どうしてこうも冗長なのか、とか、どうしてここのところをもっとアピールしなかったのかといろいろと悔やまれるが、それは今後の課題ということだ。

*本

僕の叔父さん 網野善彦 (集英社新書)

僕の叔父さん 網野善彦 (集英社新書)

こういう回想は、下手をすると「故人の生前のブッ飛びエピソード集」に堕してしまうものだが、この本はそういうものでは決してなく、甥として親しく接した著者からみた網野善彦という人物の、ごくまっとうな、学問に打ち込む一人の人間としての姿が語られている。
見方によっては中沢新一による網野善彦の著作解題という風に読めなくもないが、随所に盛り込まれた叔父との会話のなかに、懐かしさや喪失感がにじみ出ている。

もちろん書いたり考えたり、本を読んだりすることは一人でできるだろうが、そういうことについて議論できる人がいるかどうかって、すごく重要な気がする。別に「議論が大事だ!」というわけではないのだが、この本に書かれているような「網野君、君はどう思うんだ!?」な勢いの、中沢家の一見むさくるしそうな創造的な雰囲気が、ふとうらやましくなったりしてしまうのだ。

代々一家がみんな銀行員のうちに生まれた網野さんは、こういうおうちのお婿さんになって絶対よかったと思う、と妻が言った。