sniff2006-03-30

きょうはとうとうゴルフⅡとお別れの日。思えば長いようで短かい年月だったな・・・と感傷にひたる暇はもちろんなく、ぼっちゃんを抱っこしてあやす。今日あたらしい車(中古車だけど)を持ってきてもらって、そのかわりに今まで使ってきた車を持っていってもらうことになっている。つまり、ディーラーさんは行きはその新しい車(中古車だけど)でやって来て、帰りは今まで僕が使ってきた車で帰るというわけだ。しかし、それにしてはあまりにガソリンが入っていないので、それではなんか悪い気がして、すこしだけガソリンを入れに行く。
するとどうだろう、ガソリンスタンドに見慣れぬ黒いゴルフⅢの姿が。おお、ゴルフ仲間、と思っていると様子がおかしい。あっ、事故ってる・・・。今日納車という日に、その・・・事故にあったゴルフに出会うというのは、なんというシンクロニシティ。いや、「めったに見ないゴルフの事故現場をみたということは、もうこの先ゴルフの事故というものとは確率的にも縁遠いということだな」と自分で納得する。

ぼっちゃんをスリングで吊るして近所を散歩。うまい具合にぼっちゃんは眠りに落ちていく。しかし、今日の散歩コースである神社に入ったとたんパチッと目を覚ますぼっちゃん。どなたかいらっしゃるんですか・・・?

スリングでぼっちゃんを吊るしながら梨木香歩さんの『春になったら苺を摘みに』を読む。
確かに思い出話を含めたエッセイといえばそうなるのだが、たとえば『からくりからくさ』や『西の魔女が死んだ』の登場人物たちと著者自身が読んでいると重なってくる。ときに著者の描き出す各々の物語の根底を共通して流れるものであるかのようなものに触れて、ふと文章を追う目が止まる。

ただひたすら信じること、それによって生み出される推進力と、自分の信念に絶えず冷静に疑問を突きつけることによる負荷。
相反するベクトルを、互いの力を損なわないような形で一人の人間の中に内在させることは可能なのだろうか。その人間の内部を引き裂くことなく。豊かな調和を保つことは。(p.115)

春になったら莓を摘みに (新潮文庫)

春になったら莓を摘みに (新潮文庫)

しかし、本を読んでいると、もっと自分にかまえとばかりにぼっちゃんに怒られた。

そうこうしているうちにお昼近くになる。するとディーラーさんから電話が入り、今から店を出るとのこと。どうぞ慌てなくていいですからゆっくりきてくださいね。

今日のお昼ご飯は大量のぺペロンチーノ。パルミジャーノが新鮮で美味しいとほんとうにそれだけでぜんぜん美味しさがちがう。

すると新しい車がやってきた。
やっぱり思ったより可愛い。大げさでも偉そうでもなく、うちのぼっちゃんにピッタリだ。
今まで乗っていたゴルフⅡにはない機能(たとえばキー・レス・エントリ、電動サイドミラーなど)や、ほんとうはあるのだけれど壊れて機能しなかったもの(エアコン、集中ドア・ロックなど)がたくさんで、まるで車ではない別の種類の機械のようだ。
今回はぼっちゃんがいることも考えて、ワゴンタイプを選んだ。いままで車といえばコンパクト・ハッチバックなものばかりに目がいっていたのだが、なんだか、また大人の階段をのぼってしまったようだ。

さっそく近所をドライヴ。最初に行ったのはJAの朝どれ市。