sniff2006-04-13

土曜日に妹が体調を崩したというので妹のもとへ。妹は母のマンションにいた。
妹のことで、母と、そしてその再婚相手と対立する。お前らの方針だとか、それに従うとか従わないとか、そんなことは今は問題ではないし、そんなこと知らん。問題は、お前らがどう思うかとかどうしたいとかそんなことじゃなくて、いま妹にとって何が一番大事かどいうことだ。ベラベラいらんことばかり喋る母の再婚相手に「おまえは関係ないだろ!」と怒鳴って部屋から追い出した。部屋を出るとき「後で話があるから・・・」と捨て台詞を残していったが、フンッ、オレにはないよ。
妹がそうしたいというので、実家に連れて帰る。

父と僕と妹の三人で浜勝へ。妹もビールを飲んで、チーズ・チキンカツ定食を完食。食欲も出てきたみたいなので僕も父もすこし安心する。

実家に一泊以上するというのはほんとうに久しぶりだった。月曜日には妹もだいぶ調子を取り戻したが、それでもやっぱり職場にいくというので、僕もついでに朝いっしょの電車のに乗って天神へ。

駅で妹と別れたものの、時間はまだ8時半すぎ。ドトールでしばらく時間をすごす。天神駅構内のドトールは窓際から渡辺通りが見下ろせて、なぜだかいつも静かな気持ちになる。といっても、見えるのは道路を挟んだ商業ビル、通勤をいそぐOL,サラリーマン、混雑する道路だけだけど。しかし、その日はその窓際の席は満席。ふとみると禁煙席が空いているのでそこに席をとる。禁煙席といっても同フロア内の隅の、二席だけなので、はたして喫煙フロアとを分けているその効果があるのかは疑わしいが、もともと喫煙者ではないけれど、まぁ、あまり気にはならない。
なんか文庫本でも持ってくればよかったな、と思ったが、持っていなかった。もともと泊りがけになるとは思っていなかったので、なんとなく本を持っていくことにまで気が回らなかった。カバンをゴソゴソ探すとデジカメが入っていた。デジカメの中にあったぼっちゃんの写真を都会の片隅の、そのまた片隅の禁煙席で見ていると、ここ数日のこととはいえ、そこで起こったことや、前の日に別れたぼちゃんのことを思ってすこし涙が出そうになる。まだ朝の8時半なのに。

9時過ぎぐらいにドトールを出て、店が開きだす10時になるまで地下街をウロウロすることにする。路上で生活している人たちもいろいろと準備している。そのかたわらを仕事場へ向かう人たちが通り過ぎる。仕事場にしろ学校にしろ、目的地がある人と、そうでない人ってものすごくよく分る。歩き方にその日のスケジュールとか、やる仕事の量とかが出てる気がする。僕は他の人にどう思われているんだろう?いや、そもそも目にも入っていないだろう。そんなことを思いながらも、目的地があるかのように、すこし足早に、背筋を伸ばして歩く。

9時半を過ぎて、もしかしたら本屋だったら10時前に開くかも、と思って丸善に行ってみると案の定、開店したばかり。開店したばかりの丸善で時間をすごすって、なんだかすごく贅沢だな。ささやかすぎるか?

土曜日からの疲れか、思わず朝からよくわからない脈絡で本を数冊買ってしまう。

ことばが劈(ひら)かれるとき (ちくま文庫)

ことばが劈(ひら)かれるとき (ちくま文庫)

教師のためのからだとことば考 (ちくま学芸文庫)

教師のためのからだとことば考 (ちくま学芸文庫)

明かしえぬ共同体 (ちくま学芸文庫)

明かしえぬ共同体 (ちくま学芸文庫)

死と身体―コミュニケーションの磁場 (シリーズ ケアをひらく)

死と身体―コミュニケーションの磁場 (シリーズ ケアをひらく)

あと、僕は今年のはじめにハードカバー版で読んだばっかりだけど、ペーパーバック版がでていたので、妹のぶんとして買った。

キャッチャー・イン・ザ・ライ (ペーパーバック・エディション)

キャッチャー・イン・ザ・ライ (ペーパーバック・エディション)

次の日も天神へ。やっぱり朝早く起きたので、せっかくだから妹と一緒の電車で行くことにする。生涯でおそらく一番の満員電車。毎日これじゃ、そりゃ体調も壊すっつーの。
前の日と同じよーなことをして、店を回って、昼過ぎに実家へ戻る。ボーッときのう買った本を読んだりして過ごす。

夕方になって、久しぶりに実家の台所でお米をといで、味噌に酒、すりおろしたニンニクとショウガを混ぜいれて、それを豚肉に塗りつけてラップでつつみ、味噌豚の準備をする。ほんとうは一日ぐらいおいたほうが美味しいらしいけど、けっきょく我慢できずその日の夕飯に食べてしまった。

思いがけずタワーレコードで見つけたので購入。グールドが演奏するベートーヴェン交響曲6番『田園』のピアノ編曲版の全曲盤。

Glenn Gould Edition: Beethoven/Liszt

Glenn Gould Edition: Beethoven/Liszt

5番『運命』のピアノ盤にも第一楽章だけ入っているが、それとは録音日違いの別テイク。
全曲盤のほうがテンポが遅く、全体で55分もある。たとえばカラヤンの60年代の録音は全曲通しても36分ぐらいなので、かなり遅い。特に第二楽章はカラヤンのものが11分30秒なのに、グールドは20分かけて演奏している。もちろん、全体を通して、版の違いや、反復をするかしないかとか、そういうことも関係しているのかもしれない。
最初聴いたときは、ものすごく拡大された絵の一部分をひとつひとつ見せられているような、よく全体が見えないような、「こんな曲だったっけ?」と思うような、はっきりいってよく分らないCDだったが、何度か聴いているうちに音と音の間とか、音が分散する感じが気持ちよくなってきた。