うわー。広い。
ぼっちゃんが生まれて3人家族になったからというもの、洗濯物の量がすごい。赤ちゃんが一人増えたぐらいで・・・と思うかひともいるかもしれないが、それがけっこう違うのだ。
特にいままで使っていた洗濯機というのが、妻が学生時代から使っていた一人暮らし用の小さなものなので、洗濯物がたまったりすると3回にわけて洗濯しなければならなかった。
というわけで、家族3〜4人用の乾燥機つき洗濯機を購入。その音の静かさに驚く。
ついでにやっぱり一人暮らし用だった冷蔵庫も、ぼっちゃんがいつ食べ盛り肉食獣になってもいいように大きいものに買い換えた。冷蔵庫は迷いに迷って、けっきょく無印良品のものにした(中身は東芝だけど)。
感想は「うわー。広い。」の一言だ。
今日の夕飯はギョウザ。お風呂に行く前に作って冷蔵庫の中に入れておいた。
BRUTUSを読んで(弄んで)以来、ぼっちゃんの表情のヴァリエーションが増えた気がする。もちろん読んでちょっと知恵がついたとかそういうことではないと思うのだが、紙を掴んだときの手触りや、「めくる」という動作、意味はわからないだろうけれど文字の羅列(はたしてどのように見えているのだろう?)に触れたことは、ごくごくわずかな刺激にすぎず、発達生理学者に言わせれば「そんなもの意味なし」というぐらいのごくごく些細のことだろう。でも、どんな些細なことであろうと、きっとぼっちゃんに何がしかの働きかけをしたにちがいない。いつか南伸坊や谷川俊太郎の顔をみて、「なんか見たことあるような・・・」と思わないとは誰にも言い切れない。
きのうはぼっちゃんを寝かしつけた後、妻と夕食を食べながら大河ドラマを見る。織田信長の明智光秀に対する仕打ちについて、あれって、いいがかりっていうかイジメだよね、と語り合う。
もちろん本人は、悪い人ではないし、むしろ優秀だし、頭もいいんだけど、あるタイプのひとにとってはそんなところがもったいぶってて、話が長くて、何だか高みに立っている気がしてどうもいけすかないというふうに映ってしまって苦労しているひとって、いつの時代にもいる気がする。
夜中に目が覚めたので、レヴィナスの『全体性と無限』(上)を少し読む。
さらに、知り、意識を持つとは、非人間性が到来する瞬間を回避し、それに先んずるために時間を有していることである。〔人間性に対する〕裏切りの瞬間のときを、このようにして不断に繰り延べることが、人間と人間でないものとのあいだの僅かな差異なのであって、その繰り延べは、善さという、関心からの離脱を前提にしている。(p.43)
- 作者: レヴィナス,熊野純彦
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絶対に避け得ると断言するのではなく、繰り延ばす(ことしかできない)と言うところが大事なのだろう。