きょうからぼっちゃんの保育園も年末のお休みに突入。
そして妻も仕事納め。

こうしていると、ほんとうに2006年が終わっていくのだなぁと思う。

ぼっちゃんが保育園に行っている間、小1時間ほどピアノの練習をする。
「子どものバイエル」に入っている、バイエル30番程度のレベルで編曲されたベートーヴェン歓喜の歌を弾く。

今日、この冬初めての雪。
風も冷たいし、もしかしたら夜中に積もるかも。

数ヶ月前は、あまりの気温の高さと日差しの強さでぼっちゃんを外に出せない日もあったが、ぴりりとする冷たい空気の中を雪が降ってくるこんな日には、そんな夏のことがまるで幻のようだ。
逆に、あの夏の日には数ヵ月後にそんな寒い季節が来ることが信じられなくて、ぼっちゃんを抱えたままの暑い季節が永遠に続くのが当然のように思っていた。

お昼に帰ってきたぼっちゃんは、2時ごろから4時ごろまでお昼寝。
そのあいだ、フランス語をセコセコ訳す。

夜になって、NHKのBS2で「ニューヨークの恋人」という映画を観る。
内容(うろ覚え)は、19世紀から現代のニューヨークにタイムスリップした公爵がバリバリのキャリア・ウーマン(メグ・ライアン)と恋に落ちて・・・という話だが、こんなに頭を使わない映画は久しぶりだった。

それにしても、誰が言ったかしらないが、「メグ・ライアンのNYものにハズレなし」だ。


ぼっちゃんの「本棚荒し」の範囲がジワジワと広がっている。
今日あらたに到達した棚から引きずり出された一冊。
渡邊二郎編「ニーチェ・セレクション」・・・。
ニーチェ・セレクション (平凡社ライブラリー)

ぼっちゃんによって蹂躙される本棚を横目にパラパラと眺める。

思索者になる。―少なくとも毎日の三分の一は、情熱も持たず交友も避けて書物も読まずに過ごさないならば、どうして思索者などになることができようか。(『人間的、あまりに人間的』Ⅲ324)
 
「坐ッテイナケレバ考エルコトモ書クコトモデキナイ」(G・フローベル)。―これで私は君の正体が分かった。ニヒリストめ!じっと坐って仕事をするのは、まさしく精霊に対するである。歩きながら獲得された思想だけが、価値を持つ。(『偶像の黄昏』箴言34)

歩きながら獲得された思想、か・・・。
ついでにぼっちゃんも担いで歩いているのだが。