きのう、ぼっちゃんを保育園に送った後、そのまま市内へとフォルクス・ワーゲンを走らせる。

この日から3日間、県立図書館で要らなくなった本(各家庭から提供された不要本)の無料配布会があるのだ。

一番の目あてはぼっちゃんにちょうどいいような絵本などの子供向けの本だったのだが、実は一般開放に先立って学校・図書館関係者のみの日程が組まれていて、そのときにそういう本はすべて持ち去られたとのこと。

「少年少女文学全集」のような、小学4〜6年生向けの本はあったが、まだぼっちゃんには早いかな?と思い、手を触れなかった。

その日の僕は、まさにハンター、しかもブック・ハンターだった。
10時40分ごろ会場に着いて、2時ごろまで昼食を取ることも忘れてブック・ハントに集中。

カント全集とか、ハイデガー全集とか、そういう期待したものはなかったが、なかなか面白いものがあった。
なぜかウィリアム・フォークナー関連の本がたくさんあった。英米文学研究者、特にフォークナー研究者が亡くなられて、その遺族が放出したのだろうか?

でも、フォークナーの熱心な読者でもないし、英語で書かれたフォークナーについての研究論文集を僕が持っていてもなぁ・・・と思う一方、特に代表作の『響きと怒り』の原書は随所に書き込みがなされていて、ちょっと僕なんかが持って帰るには念がこもり過ぎというか、恐れ多いというか、ちょっと気がひけてフォークナー関係はそのままにしてその場をさった。

しかし、同じ持ち主なのか、シェイクスピアフィッツジェラルドの原書が何冊かあった。こちらはあまり手が入っていなかったので、ズコズコとカバンへ詰める。

他のお客さんがシドニィ・シェルダン赤川次郎を持って帰るのを尻目に、とにかく本をカバンに詰め込む。もしかしたら業者の人間と思われていたかもしれない。

本を選んでるというより、その本に呼ばれているような気分だ。


家に帰って、持ってきた本に囲まれるとそれだけで幸せな気分。
意外と洋書をゲットできた。でも、ジョイスの『ユリシーズ』なんて読めるのか?



なんか、どうでもいいような感じの旅のガイドブック。ザルツブルグのものはむこうで日本人向けに作られたものらしい。なんだか色使いと字体が可愛い。

フィッツジェラルドのものは『グレイト・ギャツビー』、『夜はやさし』、そして未完の『ラスト・タイクーン』が入っているお徳版だ。

ピエール・クロソウスキーの『ロベルトは今夜』、そしてサリンジャーの『キャッチャー・イン・ザ・ライ』の原書。エドガー・アラン・ポーのものは「Complete Tales and Poems」と書いてあるとおり、「黒猫」など有名なものがたくさん入っている。それはともかくとしても、表紙の絵がとぼけてオドロオドロしいのがいい味をだしている。

もちろん文庫本もモリモリと。寺田寅彦随筆集はなぜか4巻が2冊あった。

なぜか吉田健一の本がたくさんあった。すこしまえにこの人の文章を読んだとき、日本語なんだけど平易な英語を読んでいるような、不思議な感覚を憶えた。ものすごい教養の持ち主なのだろうけど、妙に力が抜けていて、洒脱な感じがいい。


それで、これだけの本をどこに置くんだ?