きのうから屋根のトタンの張替え工事。しじゅう頭の上でドスドス、ガンガン、コツコツと音が鳴っている。これまでにも2年に一回、コールタールの塗り替えがあっていて、「ああ、屋根自体も年数が経つと張り替えるのか・・・と思っていたら、大家さん曰く、今後コールタールを塗らなくていいステンレスの屋根にするとのこと。そういえば、コールタールを塗る職人さんが亡くなったのだ。

ぼっちゃんが妻と一緒に早めに家を出たので、すかざず走りに行く。夏の間、いろいろ忙しくて走る暇が無かったので、盆過ぎぐらいから徐々に走る時間と距離を伸ばしてきたが、今日は久しぶりに丸1時間走った。ちょうど終わって一息ついている頃、近くの養護学校の生徒さんたちがやってきた。ああ、そういえば涼しい季節〜寒い季節はいつもこれぐらいの時間に一緒になったなぁ、と思う。季節は明らかに変わっているのだ。

バラの枝に卵を産み込もうとしていたチョウレンジバチを、犯行直前に逮捕。即死刑。
葉もずいぶん増えてきて、蕾も大きくなってきた。

しょうこりもなく公募へ応募するための書類作り。もう履歴書や研究業績一覧表は、雛形というか、一度作ったものがあるので特に問題は無いが、「今後の研究計画ならびに教育の抱負」だけは毎回書き下ろす。所属することになる学部や、大学のカラーを意識することもあるけど、書く度に「授業してみたいこと」みたいなものが微妙に変わるというか、自分でだんだん「自分はこういうことがしたいんだな」ということがわかる。
以前書いたものを使いまわそうかと読み返してみると、「なんかちがうんだよな・・・」と思いはじめて、そうなるともう最初から書き直したほうがずっとはやい。
だんだん「自分がやってみたい授業」=「自分が受けたい授業」になってきている気がする。

今回応募するところは文学部っぽい名前の学部だけど、実質的には教育学部で、特に社会科の先生を育てるところっぽい。
哲学なんて斜陽学問をまじめに学ぼうなんて学生さんは・・・たぶん少数。少数でもいればいいほうか。「教員免許のために単位がいるから・・・」という学生さんがほとんどだろう。でも、それは別に悪いことではないと思う。だれもが真剣に哲学を学ぶ世の中って、逆に怖い。でも、そういう人達でも、いつかは教壇に立つわけで、そう考えるならば、その人達に語りかけるということは、同時に、その向こうに(今はまだいないけれども)その人達が先生になったときに受け持つ小学生・中学生に語りかけることではにないだろうか。「教員免許で要るから哲学とったけど、ツマンネー」という印象を哲学に対してその学生さんが持ったら、その教え子たちが哲学のことを面白いなんて思うわけが無い。

・・・・っていうか、そういうことはまず採用されてから言え。