前回書いた「現象学とは何か?」を読んで妻が、「例えば18歳の女の子が『先生、現象学って何ですか?』って聞いてきて、その子にこんなこと答えても、その子は絶対に哲学を専攻にはえらばないと思う」と言った。

確かに。

もっと、例えば「それは『梅酒のソーダ割り』みたいなものだ」ぐらいに、一言ではなくても一行ぐらいで言えないのかと、さらにツッこんでくる妻。
それならば、「確かにライム酎ハイとか、レモン酎ハイとか、それはそれでいいんだけど、やっぱ焼酎は何も加えずにそのまま、せいぜいお湯割りか水割りぐらいがいい」という喩えはどうだろうか。もちろん現象学の喩えとして。


今朝、ゴミ出しに行くとき、吐いた息が白かった。キーボードを打つ指も、冬の感触。ときどき指をこすり合わせる。

おとといは妻の仕事の手伝いで一日中運転。県内北部地方をほぼ回った感じで、その日だけの走行距離が220キロ。
夕方は遅くなることが確実だったので、Sちゃんのお母さん(妻の職場の同僚)にぼっちゃんの迎えと、帰ってくるまで預かってもらうように頼んでいた。Sちゃんのうちのには小学生のお姉ちゃんと、幼稚園年長組のおにいちゃんもいるので、預かってもらっている間、みんなでテレビを見たり、ゲームをしたり、かなり満喫したご様子のぼっちゃん。

ぼくらがぼっちゃんを迎えに行き、お礼を言って家に帰る途中、お兄ちゃんたちと別れることのあまりの寂しさに号泣するぼっちゃん。
帰りの車中で「うちに帰りた〜〜い・・・」と何度も泣きながら言うので、「やっぱり寂しかったのね・・・」と思っていると、どうもその「うち」とは「Sちゃんのうち」のことらしい・・・。そっちかい!