昨夜、妻はレディースの集いへ・・・・といっても、特攻服を着ていくわけではない(というか現在でもどこかにそのような文化は生き残っているのだろうか・・・?久留米?・・・まさか・・・しかし、十分にありうりる)。
この山間の小さな町に結婚や就職、お店を開くなど様々な理由で住むことになった県外というか町外出身女性の集いだ。といっても、それほど大規模なものではなく、仲間内だけのもので、昨日集まったのも6人ほど。
いちおう、持ち寄りパーティー形式だったので、妻の代わりにむかごご飯(むかごはムカデとは関係ない。山芋の種みたいなもの)を仕込み、炊く。そしてそれを妻が「自作おにぎり」にして持っていった。
だから会場で「これ味付けは?」と聞かれて上手く答えられなかったらしいが、お米2合に対してごま油(小さじ2)とナンプラー(大さじ1)、うすくちしょう油(小さじ1)、酒(大さじ2)です。それを5センチ四方に切っただし昆布と一緒に釜だか土鍋にブチ込んで、15分ほど水を吸い込ませてから炊きます。

会場ではまたまたまた僕のダメ夫ぶりが話題になったらしい。大学院で何やってるのか、哲学って何なのか、現代フランス思想って何なのか、就職はどうするのか・・・。
妻も酔っていて、それらの質問すべてに対して「さあ・・・?」適当に答えたので、周りの人達は「大変ね・・・」と同情コメントしつつも、一家の父・オットとしてもかなりダメさを感じ取ってくれたのではないだろうか。

こういうことがあると、「やはり一言(それができなければ一行)で他人にわからせるような言い方」というものが何かないかと考えてしまうが、はっきり言って、一言で言えたり一行で言えたりすることだったらこんなに研究なんかしないわけで・・・と言ってもはじまらないか。はじまらないな。

でも、最近、過去の、とくに子どもの頃の記憶が蘇ってきている。(よっぽど抑圧があるのか、大学に入るために家を出る以前の記憶が僕にはあまりない。)

記憶その1
保育園のころ、空はどうして青いのだろうと思っていた。友達に聞いても彼らはそもそも僕の質問じたいがわからない。だって、空は青いんだから。保育園の先生は「神様たちが相談して決めたのよ」と答えてくれたが、どうもスッキリしない。そういうことが聞きたいのではないのだ。ものすごく自分が孤独に思えた。
ある日、誰が見ているわけではないのだがテレビで何か科学番組をやっていた。そのなかで偉そうな人が、紫外線が大気に乱反射して、そのこととわれわれの眼の構造との関係で空は青く見える・・・みたいなことを言っていた。紫外線が乱反射とかよくわからないが、とにかく、何かそういう、科学的な説明が可能なのだということで、ひとまずは安心した。
しかし、次の瞬間、では、そういう紫外線とか、目の構造とか、そういう条件はとりあえずおいといて、空それ自体は何色なんだろう?という疑問に襲われた。

記憶その2
子どもの頃怖かったもの・・・それは第3次世界大戦そして核戦争だ。これは僕の世代の人ならなんとなくわかってくれる感覚だと思うが、いわゆる「最終戦争の悪夢」だ。核拡大だか核軍縮のニュースがあるたびにじいちゃんは「またソ連が攻めてくるかもしらん・・・」と燗つけた焼酎を飲みながら呟いた。僕が「でも、もう凄い昔戦争は終わって、日本は戦争しないって言ってるんでしょう?」と聞くと、じいちゃんは「日本がそう言っても、外国が攻めてくることはある」と言った。九州は大陸が近いので、もしかしたらじいちゃんは日本を攻めてくる外国のなかにソ連だけでなく北朝鮮や韓国のことを含めて考えていたのかもしれない。
じいちゃんや親たちの語る「ソ連」はとにかくものすごく怖い国だった。国と言うよりも、もっと漠然とした「不気味なもの」だった。今考えると別に「ソ連」じゃなくてもよかったのかもしれない。しかし、とにかく僕らが関与し得ない遠いところから、いつ自分たちを襲ってくるかわからない不気味なものの象徴が、僕にとってはじいちゃんたちが語る「ソ連」だったのだ。
ところで、「ソ連」は社会主義国、らしい。調べてみると、社会主義とは、どうやら支配者がドーンといて、食べ物やお金を独り占めするのではなく、みんなが公平に分ける、という考え方らしい。でも、じいちゃんたちの話では、ソ連では政治家の悪口を言うと殺されたり、国民は秘密警察に24時間監視されていて手紙も自由に送れない・・・そんな怖い国らしい。そこで僕は頭が混乱してしまった。みんな公平だという国なのに、どうして支配者が自分の好き放題できるんだ?言っていることとやってる事がちがうじゃないか。なぜ社会的公平という理想を語る社会が冷酷な独裁者の存在を許すのか?
まわりの大人たちや、学校の先生にもこの質問をぶつけても、これといって納得できるような答えは無かった。やはり孤独を感じた。

こんな僕の子どもの頃からの疑問に或る種の回答をしてくれた、とまではいかないにしても、こうした問いを深く考えていた人達が哲学と呼ばれる領域の人だった。
かつての自分の問いに対して、今の自分なりの答えもあると言えば、ある。
だから、もし同じような疑問を抱いている子に会ったら、というか、タイムマシンに乗ってかつての自分に会えたらだから、当時僕の質問をはぐらかした大人よりはちょっとマシな話ができる気がする。
もしなんで哲学なんですかと聞かれたら、「それはね・・・」とこれまで書いたような話をしてやりたい。たぶん最初の数秒で「あ、もういいです」と言われるだろうけど。

もちろん、上に書いた二つのケースがすべてではない。ほんの一部である。
でも、子どもの頃考えていたことを今書いているうちに、「知覚と世界と認識、他者、制度化と真理、主体」等々、今いろいろ考えていることがその中にすでに出揃っていることにはすこし驚いた。

もちろん、過去を回顧しているのは現在の僕だから、ここで書かれた「かつての僕」はかならずしも「かつての僕」それ自体ではない。現在の僕によって多少とも美化されている可能性はある。過去は変えられないというが、過去は変わる。どの時点における「現在」から見るかによって。もし僕が哲学なんて分野に進まず、経済だか商学部にすすんで、今ごろバリバリなエリート・銀行マンだったら、「あー、子どもの頃バカなこと考えてたなー。ほんと子どもってバカだよ。」って、言う感じでこの二つのエピソードを処理しただろう。

哲学とはなにか?それは僕の場合は、かつての自分にとって不気味なものの正体を考察することである、と言えるかもしれない。もちろん、そんなものの正体なんて最初からないのかもしれない。とりあえず、「人生の意義」だとか、「人生における悟り」とかは関係ない。そういう意味では、ある種の恐怖心が原動力にあるのではないだろうか。

言い方が正確ではないかもしれない。もっと一般化していうと「自分たちを取り巻きつつ、それについて(例えば不気味なものとして)考えさせたり、逆に考えなくさせたりするものとは何か、あるいは、それについて僕らに考えさせたり、考えさせなかったりさせている者は誰か」についての考察ということだろうか。
なんか違う気もするが、やはりまだうまく言えない。