今日から図書館も年末年始の休みに入った。この心にポッカリ空いた穴は何?
よく考えると、大学時代、特に院生の頃(今も院生だけど、一度サラリーマンになる前の、22〜24歳の頃)は、下宿にいるか図書館にいるかの生活だったが、もう8年も図書館のない町に住んでいると、そういう感覚(町に図書館がなくて残念だという感覚)も麻痺してしまっていた。若い頃の感覚が戻ってきて、もう図書館のない生活が耐えられなくなりつつあるが、町に戻った時、どうやって生きていけばいいのだろうか。(まぁ、いざとなったら大学の図書館に行けばいいのだが、けっこう遠いのだ。)
昨日、閉館間際の図書館をぼっちゃんの手を引きブラブラしながら、「図書館に住みたい」と思った。

今日は朝から雨で、一日中くもりではっきりしない天気だったので、ずっと家の中にいた。2時間ほどメルロ=ポンティを原文で読んで、1時間ほどレヴィナスの『全体性と無限』を翻訳で読む。ぼっちゃんは退屈で暇をもてあましていたようだ。妻が年賀状を印刷。ウニャ子が生まれていたら、「生まれました」年賀状にしようと思っていたのだが、いまだにその兆しがないので(いや、別にプレッシャーをかけるつもりはない。)、とりあえず神社の牛の置物(御神牛と書いてある)に登ったぼっちゃんの写真で年賀状を作った。

明日はとうとう神戸から義姉夫婦のところのふたごたちがやってくる。そうたいして静かではないが、これからのことを考えると比較的静かな日々だったと規定されるであろう日々が終わる。