ある一定期間ブログを更新しないと広告が出るようにはてなの様式が変わったらしいが、それについては特に感慨があるわけではない。

ところで、とてつもなく私事だが、とは言いつつも個人ブログである以上そこに書かれているのは私事以上でも以下でもなく、かといって私事以上のことが書けるとも思わない。

つまりどういうことかというと、3月31日をもって現在の職場を正式に退職。4月からは非常勤と研究に専念の予定。

家族が退職を祝ってくれました・・・。

セルフリストラって・・・。まぁ、確かにそうなのだが。

セルフリストラした勢いで四月からの非常勤生活のために新しいパソコンも注文した。もう少しでmacbook proをポチッとしそうだったが、結局macbookとは対極の、デルの法人モデルvostoro3550を購入。

ほんとうに自分なんかにはあまりにももったいないくらい恵まれた職場だったが、いろいろと考えることもあって、契約更新はしなかった。(一年毎の更新で3年間という枠だった)

とはいえ、後任の人への引継ぎや、総会資料の作成など、まだ何日かは職場に通う必要がありそう。今日もさっそく行ってきたが、二年間ほとんど毎日通った場所なのに、もう自分にとっては場違いというか、すでに余所余所しい感じで、「ああ、もうここは自分の居場所じゃないのね」と思った。別に疎外感とか怖いとかではなく、ほんともうどうでもいいというか・・・。

そういえば、2年間のサラリーマン生活のなかで、まわりからは「人としてつまらなくなった」とか「あんなのはホッチキスじゃない」とか言われるまでになったが、自分が何者かなんて、はっきりいってどうでもいいし、誰が僕のことをどう言おうが、それもまたわりとどうでもいい。

4月からの非常勤は、自分にとって、「3.11以後のの世界で哲学を語るとはどういうことか」という課題と向き合わねばならない気がするし、そういうことを見ない振りして「え〜、デカルトは・・・」なんて言える気がしない。もちろん、そうした状況の流れとは関係のない学問的真理を探究すべきだという意見もあるだろうし、その意見もいくぶんか正しいのだろうが、それだけではいろんなことに嘘をついている気がしてならない。

もちろん、西日本の片隅で、そのなかの教室の一つで僕が何を言おうが、誰を救うこともできないし、誰かが救われるわけでもけっしてない。しかし、自分にとって研究するとか、本を読むとか、何かを書くということの意味は今後大きく変わる気がする。