先週末から絶賛「手足口病」中のウニャ子だが、高い熱が出るということも少なくなり、順調に回復中。

今月に入って新作映画のプロモーションを兼ねているのか、「ハリーポッター」の映画がテレビであっていた。シリーズの三作目だか四作目だかよくわからないが、しかし、長男坊もけっこう面白がって観ていた。ファンタジー映画とはいえ、「実写映画」を観れるようになったのか、と思った。ときどき「あれってユニコーン?ペガサス?」と聞いて来る。

森博嗣の本はいずれも既視感があるのだが、科学についての氏の考え方がコンパクトにまとめられていて良い。

科学的とはどういう意味か (幻冬舎新書)

科学的とはどういう意味か (幻冬舎新書)

なぜ科学的説明や数字的把握が「小難しい」とか「屁理屈」とか「結局どういうことなのよ」という感じで人々に聞いてもらえないのかという点について書かれている箇所は、科学を「哲学」に脳内変換して読んでしまった。

理系の人の多くは、理系の科目が好きだから理系に進んだ。文系の人も、文系の科目が好きだから進んだのなら、こんなコンプレクスは育たない。そうではなく、自分が望んだのではない進路となった。その「理系科目に落ちこぼれた」という自己評価がもたらす心理にちがいない。
数学を敬遠する、科学を遠ざける、さらには勢い余って、それらを悪者にしようとする。理系の人たちを「人情が通じない奴」「何を考えているのかわからない人間」「変人」と見てしまう。この攻撃的な心理は、明らかに自己防衛の裏返しなのだ。(p.99)

哲学というあまりに「文系」な学問をやっていても、ある時点から文系/理系とかいう区別がどうでもよくなるというか、もっと理系分野もやっとけよ高校生の頃の自分、と思ってしまうことが多々ある。フッサールはもともと数学出身だし、現象学では生理学や心理学の知見が非常に重要な役割を果たしていることもまた一つに事実である。

哲学をやっていると、ゲーム理論ゲーデル不完全性定理を理解するためにもっと数学ができたら!と思うことはほんと週に2、3度ある。

高校や大学の頃よりもいまのほうがずっと自分は理系な気がする。文系的言い訳に逃げ込みたくないという気持ちがあるという意味で。