台風一過というには地理的に台風から離れすぎだが、それでも雨風の強さを感じる一日。

父の入院からちょうど一週間。たぶんそのとき実家のテレビで見たのであろう原田芳雄の記者会見での姿。痩せて車椅子に乗った姿はなんだか他人事のように思えなかった。故人の冥福をお祈りしたい。
あるときからみんな同じこと書いてあるように思えて、さらに「適当に言っている」感がすごく強く感じられて、しばらく内田氏の書いたものから遠ざかっていたが、今回は何か気になって購入。

最終講義?生き延びるための六講 (生きる技術!叢書)

最終講義?生き延びるための六講 (生きる技術!叢書)

非常勤講師というギリギリ教師と呼ばれる立場にあるからだろうか、大変興味深かった。
そして、「教えたい人間が引き受けるべきリスク」というところには大変教えられたというか、ガンと頭をたたかれた気がした。

そのとき、外で嵐が荒れ狂う暗い体育館で腕組みしながら、誰もこない畳の上に座って待っていたときに、僕は覚悟したんです。人に教えるって、多分こういうことだろうって。誰も「教えてください」と言ってこないけれど、こちらが「教えたい」と言って始めた以上、教える人間はこのリスクを引き受けなければならない。そう思ったんです。誰かが扉をあけて来てくれるまで、待っていなければならない。畳を敷いて、準備体操をして、呼吸法もして、いつでも稽古できるように備えていなければならない。それが「教えたい」と言った人間の責任の取り方なんじゃないか、と。(p.179)

これを読んだときにはじめて気づいた。そう、僕は「教えたい」と言った人間だったんだ、と。「教師なんて柄じゃないけど・・・」なんてごまかしていたけど、ほんとうは、僕は教えたかったんだ、と。

それなのに、「今日も3人休んでるな・・・」とか「みんな理解してくれてるかな・・・」とか授業のたびに一喜一憂していた自分には、この覚悟が足りなかったんじゃないか。「教えたい人間が引き受けるべきリスク」を引き受けることなく、自分の無能力や学生側に何かと言い訳を探していばかりいたんじゃないか。もちろん「非常勤講師の経験あり」という業績上でのポイントや、わずかでも幾許かのサラリーが欲しかったのは事実だけれど、でも、そのもっと奥のところで、僕はもっともっと「教えたかった」んじゃないのか。

そんなことに気づかされた。(あと2回で前期終了だけど・・・)

授業の準備のときに感じる妙な高揚感は、きっとこの「教えたいっっ」という僕のずっと奥の欲望、グリードに利用されてヤミーの親にされるぐらい強い欲望から来ていたに違いない。単に「非常勤講師の経験あり」という業績や金銭的収入が欲しいだけだったら、こんな大変な仕事はもっと苦痛だったろう。

「自分の欲望に忠実になりたまえ!」と叫ぶ鴻上会長の気持ちがやっとわかった。