前回から十日以上あいてしまった。運動会が終わってその後もいろいろあった気もするが、記憶があいまいだ。

実のところ16・17の両日を使って妹夫婦と自分達家族で人吉キャンプを計画していたのだが、サンバという名を持つ強力な台風とガチでぶつかってしまい、キャンプはあえなく中止。福岡の友人夫婦も合流する予定だったのだが。

しかし、妹夫婦の家で妹や、妹旦那の手料理をご馳走になる。アウトドア好きの妹旦那はこの日の為にテントやらダッチオーブンでパエリアを作る準備や、うちの子供たちをカヌーに乗せる準備までしていてくれたらしい。妹たちのアパートへ行くと、キャンプ気分だけでもということで室内にテントが張られていた。子どもたちも大満足。はしゃいだ勢いでまもなく寝てしまった。
あとは大人たちだけで80年代ポップスを特集した番組などを見ながらだんびり過ごす。
それにしても、妹があんなに落ち着いて、家事をしたり、料理をしたりするなんて、昔の彼女からは想像ができなかったが、これも妹旦那と知り合い、彼と結婚したおかげと思う。


村上春樹のインタビュー集が文庫になっていたので入手。

学生結婚し、ジャズ喫茶「ピーターキャット」を経営していたこと。ある日(1978年4月のある日)、中日ドラゴンズの試合観戦中に突然小説を書きたくなったこと。いわゆる日本的文壇的なものから距離をとるために日本を離れたこと、走ることをはじめたきっかけ等々、ハルキ読みならすでに知っていることも多いし、これだけインタビューが集まれば似たような質問や受け答えも多く、どの頁も常にかすかな既視感とともに読み進めた。

しかし、それはこの本が退屈なものだということを決して意味してはおらず、むしろこれまで長い間ハルキ読みだった者としては村上春樹という作家の思想やスタイル、作品の繋がりや作家としての変化を再確認できたし、発見もあった。

自分の大学時代は村上春樹とともにあったいっても過言ではない。ビールを飲だり、コーヒーを煎れたり、映画を見たり、街を歩き回っては古本屋をめぐり・・・今思えばいろんな場面で村上春樹的陰影を自身に投影していた。しかし、結局のところ大事な何かをすっかり読み落としていたのではないだろうか。いや、むしろ見ないようにしていたのか。彼の小説を読んだ後、自分の意識の奥底の、何か重く冷たく、黒いものに触れた気がして何日か起き上がれない日もあった。しかし、このことの意味を深く考えることはなかった。僕は目をそむけていただけだったのだ。

村上春樹はこの本の中で「物語」、特に「善き物語」について多く語っている。

「査定基準」みたいなものを彼ら(若い人々)に与えるのは、我々小説家のひとつの役割ではないかと僕は考えます。もしその物語が正しいものであれば、それは読者にものごととを判断するためのひとつのシステムを与えることができると僕は考えます。(p.23)

そして、物語を体験することは他人の靴に足を入れることだと村上春樹は言う。他人の目を通して、自分のそれとは異なった世界を見ること。しかし、世界には「善き物語」だけが存在しているわけではない。「善き物語」が世界を開示し、われわれを自身の世界から別の世界へと開くものだとすれば、逆にわれわれの目を塞ぎ、われわれを物語そのもののなかへ閉じ込める物語も存在する。その悪しき物語はオウム真理教として、あるいは「ワタヤ・ノボル」的なもの(=浅く表層的だが、きわめてプラクティカル影響を及ぼす情報やメディア言説によってわれわれを閉じ込める悪意の具現者)として具体化する。

心寒くなる話ですが、われわれは多くの場合、メディアを通じて世界を眺め、メディアの言葉を使って語っているのです。
そのような出口のない迷宮に入り込むことを回避するためには、主人公のオカダ・トオルが行ったように、ときとしてわれわれはたった一人で深い井戸の底に降りていくしかありません。そこで自分自身の視点と、自分自身の言葉を回復するしかないのです。・・・我々小説家がやるべきことはおそらく、そういった「危険な旅」の熟練したガイドになることです。・・・オウム真理教の教祖である麻原が行ったのは、物語が有するそのような機能の意図的な濫用であり、悪用です。彼の提供した物語のサーキットは抑圧的なものであり、堅く閉鎖されたものでした。それにくらべて、真の物語のサーキットは基本的に自発的なものでなくてはならないし、常に外に向かって開かれていなくてはなりません。(p.385)

そうだとすれば、「物語」とは良い意味でも悪い意味でも「呪い」だということにならないだろうか。良い意味での「呪い」というのは変な言い方だが、むしろ「呪」に対する「祝」として機能しているのではないだろうか。そしてこの相反する二つの機能を有することは物語の宿命であり、それを読む我々にとっても、それが呪なのか祝なのか、どこまで自分で判断できるのかは怪しい。だが、こうも考える。自分を呪い、あるいは祝うのは、結局われわれ自身ではないかと。意図するしないにかかわらず、あえて悪しき物語を選ぶことで、われわれは自分自身に呪いをかけるのではないか。
善き物語と悪しき物語があるのではなく、われわれが自分自身でみずからに呪いをかけたとき、物語は悪しきものとなるのではないか。そして、麻原はこの物語の機能を利用することで、多くの人々を閉じたサーキットの中に閉じ込めることを可能にした。

まだ村上春樹物語論を自分自身うまく租借できていないので、うまく言えないが、自分が目をそむけ続けた(そして続けている)自分の意識の奥底の、何か重く冷たく、黒いものとは、このような呪いではなかっただろうか。それは間違いなく自分の一部をなし、静かに駆動し続ける悪しき物語であり、何よりもそれを語ったのは他でもない自分自身ではなかっただろうか。