長女ウニャ子のまわりには、つねに小動物の姿をした「何がしかの存在」が存在しているらしい。彼らのリーダー格にあたる者には明確な名前があるが、それ以外のものには「うさぎ」とか「ちいさいねずみ」といった程度の名前(名前ですらないが)しか与えられていない。イメージとしては陰陽道でいう「式神」が一番しっくりくるのではないだろうか。

リーダー格は「メロディ・マーチ」という名を持つ小型の猫で、そのときどきで色が変わるらしいのだが、デフォルトは黒と白らしい。よく赤ちゃんが履いている、歩くと「ピッピッ」と鳴る機構が仕組まれた靴を履いていて、ときどきエプロンをしている。
車で移動するときもかなりの頻度で一緒に行動し、松田聖子の「夏の扉」やYMOの「ライディーン」がカーオーディオから流れると他の「うさぎ」や「ちいさいねずみ」たちと一緒に踊るのだという。

彼(彼女?)の式神っぽいところは、ときどきウニャ子の過失の責任を負うところだ。大事なものが床に散乱しているのを見咎められ、母親に「これ誰がしたの?」と怒られると、ウニャ子は「ああ・・・それ、メロディ・マーチがやったんだよ」と何事もなかったかのごとく言い放ち、この言動を以ってまたウニャ子は母親に叱られるのである。

ウニャ子が彼らと出逢い、そして彼らを家に連れ帰った日が久留米の科学技術館プラネタリウムを見た日だったことは僕も妻も憶えているのだが、肝心な日付が思い出せないでいた。
ところで彼らは館内の子どもアスレチック広場のようなところで寛いでいるのをウニャ子に発見され、小脇に抱えられるように地上に降ろされると、あとはウニャ子に手を引かれて移動させられることになった。その様子を見ていた妻の話によると、ウニャ子はジャングルジムのようなものに登ったと思ったら急に何もない空間に手を伸ばし、何かを掴み取るような身振りをしたあと降りてきたという。
その後は何かにつけて「メロディ・マーチが・・・」という話になるので、家族全員がもうそういう者達がいるという共通認識のもとで生活しているのだが、そのプラネタリウムを見に行った肝心な日付がどうしても思い出せないでいた。手帳や日記などをみても、どこにも記録がない。

諦めかかけていたある日、特に意味もなく、しかも自分の専門分野とは違うスピノザの『知性改善論』を読んでいたら、そこに決定的な手がかりがあった。

まさにそのプラネタリウムのチケットの半券、である。なんということはない、つまりは横着でものぐさ気味の自分が栞のかわりにそれと知らず挟んでいたのである。

最後に読んだのがいつなのかも判然としない書物から、或る家族の或る記憶に関する決定的な証拠が出てきたことに一瞬呆然としてしまった。記憶とは脳や心のなかだけではなくて、こうやって物質のかたちをとって、しかも向こうから飛んでくるように現われるときもあるのだ。
メロディ・マーチたちもいつかは僕らの元を去って行くのかもしれない。でもこの半券カードがあれば、きっと彼らを「召喚」できるはずだ。
ともあれ、いまの自分に必要なのは、知性の改善はもちろんのこと、記憶力の改善でもあるようだ。