長男坊は絶賛春休み中である。朝から宿題と進研ゼミのチャレンジを済ませて、いまは3DSでテトリス中。機体は3D映像でゲームができるスペックを有しているのに、やってるソフトは初代ファミコンゲームボーイ時代のもの。ゲームの世界にもいつのまにか「古典」という概念が生まれている。
きのうパックマンをやっているのを見ていても思ったのだが、明らかに上手になっている。頭の柔軟さ・反射能力などから考えても、追い越される日は近い。
思えば自分も「自分のこれまでの人生の中でいちばん頭が良かった時期は?」と聞かれたら、やはり小学生5〜6年のころだと応えるだろう。あの頃は教科書にしても一回見たり読んだりしただけで憶えることができた。そうかんがえると、小学生以降の20数年間、ひたすら劣化する人生を送ってきたと言えなくもないか・・・。

先日放送されたNHK『トップランナー』の本田選手特集を見る。プロサッカー選手の本田選手である。一昨年だったと思うが、ちょうど膝を負傷したことが大きく報道されたころにやはり同番組で本田選手特集があったが、今回はその続編である。
前作を見たのがちょうど博士論文でちょっと精神的に追い込まれていたときで、番組を見ながらボロボロ涙が出てきて、このときだけは本当に一人のときに見ていて良かったと思った。
自分よりも年下の青年がこんなに前向きに、ストイックに、真剣に頑張っているのだから自分も頑張らねばという思いであのときはなんとか博士論文を乗り切った。僕の博士号取得の何パーセントかは本田選手のおかげである。

その続編ということで楽しみ番組を鑑賞した。今回も感動的で、自分の身を振り返ってもっと自分もしっかりせんとなと思うぐらい内容の濃いものであったと思う。

しかし・・・。しかし、だ。どうしても今回は心配なことが一つある。それは、ほかでもない本田選手のことだ。
彼の「怪我はチャンス」という発言に代表される彼のポジティヴさが、見ていてとても危ういものなのではと不安になった。筋トレ中の映像で「今日は日本の曲を持ち込んだ」というナレーションとともに彼が流していた曲がマッキーの『どんなときも』だったり、あと、聞いたことはあるが曲名が思い出せない、とにかく90年代に流行った、こう、すごく前向きな歌で、このあたりで「ん?」という感情がじわじわひろがってきた。

「自分を信じること」「自分に自信を持つこと」を自らに言い聞かせるような本田選手がときおり、「『自分を信じる』ことを自分は信じている」という状態、うまく言えないが、自分に対する信頼の根拠それ自体が「自分を信じること」の無謬性に依拠しているような危うさを感じさせて、特に後半の若い人を前にした講演のときはちょっとハラハラした。

もちろん世界で活躍するトップ選手である彼にとって、24時間いたるところで常人には想像できないプレッシャーが存在しているはずである。おそらく、僕のような凡人では15秒で潰れてしまうようなギリギリのプレッシャーのなかで彼は戦っている。そのような世界で戦うために彼は自らの中に強固なシステムを作り上げ、身体的にも精神的にもタフでなくてはならなかったことは想像に難くない。
中には「もっと気楽にやれよ」なんて無責任なこという人もいるだろう。自分と本田選手を比べるのも僭越だが、自分も過去何度かこれと同じ台詞を言われたことがある。そしてそのたびに思う。「気楽にやれよ」と言われて気楽にやれるんだったら、最初から気楽にやっている。
だから、この番組をみて本田選手のポジティブさとか、前向きな発言に危うさを感じたとしても、それはきっと本人にとっては余計なお世話だ。そんなポジティブさが諸刃の剣だということは彼本人もきっと理解していて、テレビには映っていないところできっとバランスをとっているはずである。それぐらいの知性と理性がなければ、そもそもトップ選手になんてなれなかっただろう。