朝食を食べているとき、長女ウニャ子に「私は毎日保育園なのに、お父さんはときどきしか仕事行ってなくてズルい!」と、ニートっぷりをなじられてしまった・・・。
確かに非常勤や大学の研究室に用事があるとき以外は家にいることが多いが、この台詞だけ聞くと本当に駄目な父親っぽいな。というか「台詞だけ聞くと」ということを棚上げにして考えたとしても、わが身を振り返って考えてみた場合、やはり駄目な父親だということは変わらない気がする。

はじめて教室に向かうエレベーターの中で、教務担当の先生に「良くも悪くもまだ子ども。そしてやる気をもって勉強している子とぜんぜん勉強しない子に二分化してしまっています」ということをチラッと言われた。
看護系の学校なので、高校を卒業してすぐ入学した子もいれば、一度社会人として働いた後、あるいは大学を卒業した後に入学した人もいる。年齢層が様々であるから、いろんな学生がいて当たり前だろう。
社会人や大学を経験して入学してきた学生たちの多くは、あえて看護学校に入学するという選択をしたぐらいであるから、それなりに意識も高いのだろうが、高校を卒業したばかりの子たちの中には、そこまで考えていない子も、もしかしたらいるかもしれない。
いままで経験した大学での非常勤のように、或る程度レベルが一定で、選択科目であるがゆえに結果として興味関心を持って集まった学生たちを相手にするのとは多少勝手が異なる。
できればあまり勉強が好きではない子に合わせてやりたいと思うのだが、そうすると比較的勉強が出来る子には物足りない授業になってしまうだろう。なかなかバランスが難しい。
とはいえ、確かに僕の担当する論理学という科目は一般教養の部類に入り、看護の現場とどういう関係があるのかと問われるとなかなか難しい。「pならばq云々」というようなことを学ぶ論理学が、目の前で苦しむ患者の痛みや苦しみを取り除けるのか?一つでもこの世界から病原菌を根絶させることが出来るのか?おそらく答えは限りなく「NO」に近い。
ではなぜこんなことを勉強するのか?このあたりの動機付けということもこれから授業を進めいくうえで重要なポイントであろう。
看護の場面に限らず、あらゆる場面で人は意見を述べ、そして他人の意見を聞くということを経験する。そのとき、その意見や主張がどのような根拠の元でなされているのか、そしてそれが正しい演繹のもとに導き出された結果なのかを検証しなければならないことがある。
逆に、自分が何らかの主張をする場合、その主張がどのような根拠のもとで論理の破綻なく主張されているかを示す必要がある。それらのことは総じて、自身の考えを明確化すると同時に、ネットや社会で飛び交う無根拠な言いがかりやな詭弁、無内容な言説からわが身を守ってくれるはずである。
そして何よりも、誤まった仮定や思い込みは看護という場面においては命取りに繋がりかねない・・・ということを本当は言いたいのだが、それこそ学生たちにとっては大きなお世話かも知れない。
とりあえずは、看護師国家試験にある「状況設定問題」の長文を読んで答える為には、知識はもちろん分析力や読解力が必要だ・・・云々というところからジワジワ攻めていったほうがいいのかもしれないと今の時点では考える。何だか目の前にニンジンをぶら下げるようなやり方でちょっと気に入らないが。
ところで看護師国家試験って、調べてみると大変だなぁ!午前と午後にそれぞれ100分ずつ、で各々必修問題25問、一般問題65問、そして状況設定問題30問の合計120問!一日に240問の問題を解かなければならないわけか!ざっと計算する一問あたりにかけられる時間は80秒。しかも、必修と一般の配点が1点で状況設定問題は2点。となると、状況設定問題を落とすとなかなか厳しいのかも。
なにはともあれ、看護を目指すような立派な人達に僕がものを教えたりしていのかというのがずっと付きまとう不安というか疑問だが、引き受けた以上は努力していこいう。

それにしても・・・初日は説明が多かったとはいえ、あれだけおおっぴらに授業中に眠られると、ちょっと落ち込むなぁ・・・。

そうえいば授業のおわりに書いてもらったアンケートに「一生懸命みんなにとけこもうと頑張っていた」と書かれてあった・・・。10代女子に「おまえ頑張ってたな!」と言われる40歳間近のオッサンって一体・・・。とりあえず、嫌われてはいないようだな・・・?たぶん・・・今のところ・・・。