すっかり寒の戻り。寒くて日中も暖房が不可欠な状態で、きのうも通りすがりの人の口から「山では雪が降っていて・・・」という言葉が発せられていたことは、何かの間違いであってほしい。

だんだん自分の持っているCDが、往年の巨匠ものから古楽的なピリオド奏法ものに入れ替わっていっている。ベートーヴェン交響曲全集は、オケこそウィーンフィルだがラトルがピリオド奏法を大胆に取り入れた演奏で、良いとか悪いとかは別としても明らかにカラヤンバーンスタインとは別世界。

そんな中、「まぁ、カラヤンとかで持ってるけど、別に、ピリオド奏法もので買いなおすほどでもないよね・・・」と思っていた曲の代表が自分にとってはモーツァルトの『レクイエム』である。

しかし、ついにというか、何かの拍子に買ってしまった。ほとんどジャケ買いだ。

ヨアンネス・クリマコスの著書『天国への階梯』に付されるイコンで、いろいろな人が書いたヴァージョンがあるようだが、おそらくこれが最も有名なものの一つだろう。
全体図はこんな感じ。

うーん、聖職者といえども、天国に行くのはなかなか大変そうである。なんか変な黒い天使だか悪魔高に弓矢で打たれたり、ひっかけ棒かなんかで引っ掛けられて落とされたり・・・。
落ちていく人(はしごの右側)のなかで上から五番目の赤い服のひとなんか、馬乗りになってトンカチみたいなもので殴られてる。
α(アルファ)という古楽が得意なレーベルは、ここから出るアルバムははずれなしで有名だが、このレクイエムは何とも鮮烈で、いままで聴いてきたものとはまったく違う世界。「レクイエム」というと死者を弔うという「鎮魂歌」的なものをにこだわってやたらと沈鬱で思い演奏が多い中、これほど突き抜けて普遍的な宗教性やを感じさせる純粋な儀式音楽として成立しているものは珍しいのではないのだろうか。

そしてこれは楽譜のエディションや解釈の問題なのか深い意味はわからないが、有名な「ラクリモサ」が終わると「シャーン・・・シャーン」と神社で巫女さんが鳴らすような鈴の音が響き、アーメンのフーガが歌われ、しかもその歌が途中でいきなり終わる。(これはモーツァルトの遺稿そのまま、つまり死によって中断した楽譜の記載をそのままを演奏しているらしい。)
しかし、「え?え?」と思っているとその後は補筆された部分を通常通り演奏して・・・と、不思議なCDだった。

それにしても、ピリオド奏法を駆使するムジカ・エテルナ、ギリシャ人の指揮者テオドール・クルレンツィウス、ニュー・シベリアン・シンガーズ(ノヴォシビルスク歌劇場合唱団)が、ノヴォシビルスク(新しいシベリアの意味)という名前だけでも超絶寒そーなシベリアの町で録音したモーツァルトを聴けるとは、なんと幸せな時代を生きていることかわれわれは。