非常勤のバイト代で除湿機を買った。最新の除湿機は洗濯物の乾いてないところをセンサーで察知して、そこを重点的に乾かしてくれる。除湿機のおかげで、梅雨時とは思えない洗濯物の乾き具合!
は〜・・・買って良かった・・・。
整骨院で言われたことは、もちろん長い時間座っていることが原因の一つでもあるけれど、体のゆがみが問題だということだ。確かに仰向けに寝たとき、脚の開く角度が右と左では違っていて、これは筋肉バランスが左右で違いすぎることから生じるらしい。
そう言われても、人間、生きていれば心にも体にも多少の歪みぐらいはあるわけで・・・。とりあずはストレッチや歩くときの足の出し方など、すこし意識していこう。
授業のプリント(教師用)を書いていると、横に長男坊が立っていて、打ち込まれる文字をずっと声に出して読んでいる。仕事をする父親の姿が垣間見えた瞬間だろうか。
「えんえきこんきょかっこじじつからよみとれることだけがけつろんとしてみちびきだされることすいろんこんきょかっこじじつからだけではよみとれないことまでかのうせいもふくめてみちびきだすことぴーならばきゅうーではないきゅーゆえにぴーではない」
音だけだとドラクエの「ふっかつのじゅもん」のようだ。

演繹:根拠(事実)から読み取れることだけが結論として導き出されること
推測:根拠(事実)からだけでは読み取ることができないことまで可能性もふくめて導き出そうとすること

PならばQではない
Q
ゆえにPではない

長男坊から教えに行っている学校のことをたまに聞かれる。来ているのは中学生より大きなお兄さんお姉さんたちだということ、彼らが大学生だったり看護師になる勉強をしていること、授業中に居眠りすること、宿題や授業をサボるひとがいること、大学では自分の興味のあることを選んで勉強できること、僕の教えている科目が国語と数学のあいだのようなものだ等々を話すと、「ふ〜ん」とは言うものの、よくわからなそうな顔をする。
確かに、もし自分が小学生の頃にそんなフリーダムな世界の話をされても、にわかに信じることはできなかっただろう。あのころの自分にとって「学校」と「自由」は明らかに矛盾する概念だったからだ。
もちろん、大学や研究の世界は、それはそれで制約も多く、そもそも完全な自由なんてものは存在しない。しかし、勉強することということは、この不完全なわれわれの自由がジワジワ少しすこしづつ「すこしはましになる」ことなのかもしれない。