sniff2005-02-22

ついに買ってしまった電子ピアノ。

最近、かなり庄野潤三を読み込んで以来、妻はふたたびピアノが弾きたくなっていたのだ。

妻は子どもの頃、お姉さんと一緒にピアノを習っていた。

お姉さんは音大まで続けたので、一時期、妻の実家にはグランド・ピアノがあったらしい・・・。

正月に妻の実家に帰省したときに探してみると、当時つかっていた『子どものためのバイエル』とか、いろいろ楽譜がまだ残っていた。

僕も子どものころ、近くのエレクトーン教室に連れて行かれたことがあった。そのときの記憶はほとんど無いが唯一、すごく覚えていることがある。

それは、ト音記号を書き続けたことだ。

何の事前説明もなしにいきなり連れて行かれて、やることといったら、ト音記号を何回も、ひたすら書く練習だった。ほんとうにそれだけだった。鍵盤に触った記憶もない。

あれは何だったんだろう?親も先生も何がしたかったのだろうか・・・?

これだけ記憶が曖昧だと、本当に自分にあった出来事なのかも疑わしくなってくる。

まさか、前世の記憶・・・?あるいは何かを隠蔽するための、植え付けられた人工的記憶?




それはそれでいいんだけど、庄野潤三だと、

「何という曲?」
「ル・クッペのK。JがなくてIからKになるの。ABCの順なんだけど。」
「いい曲だね。」
「いい曲ですね。予備練習というのがあって、そこが弾けるようになってから入るの」
 妻のピアノのおさらいを聞いていると、ときどき、こんなふうに覚えて口ずさみたくなる、いい曲がある。
              庄野潤三『ピアノの音』(講談社文芸文庫ISBN:4061983695

となるのであろうが、うちだと、

「何という曲?」
坂本龍一のビハインド・ザ・マスク。」
「いい曲だね。」
「いい曲ですね。予備練習というのがあって、そこが弾けるようになってから入るの」
 妻のピアノのおさらいを聞いていると、ときどき、こんなふうに覚えて口ずさみたくなる、いい曲がある。

というふうになるのだろう。