切り抜き。

おととい、街の古本屋で庄野潤三の本を3冊購入。
3冊で2000円ちょっとしたが、たとえば講談社学術文庫なんかは2000円で2冊買えないよな、それに初版で、箱つきだし、うちの奥さんも庄野潤三大好きだし、と自分に言い訳しつつ、他の人に横取りされないよう目をギラギラさせて購入。

  • 『子供の盗賊-自選随筆集』(牧羊社、昭和59年)
  • 『御世の稲妻』(講談社、昭和54年)
  • 『クロッカスの花』(冬樹社、昭和45年)

さていざ本を開いてみると、前の持ち主が挟んでおいたのであろうか、新聞の切抜きが。

いずれも朝日新聞からの切り抜きのようだが、『子供の盗賊』には当時新聞に掲載された同書の広告の切り抜き(昭和59年12月10日)が挟まれており、また、『御世の稲妻』には林富士馬が菊池寛賞を受賞した際の「何よりな友の受賞」(昭和54年11月18日)、「ひと、本に出会う 私の読書術」というコーナーの「軽妙セルデンの人生論」(昭和54年2月17日)、そして「歳歳年年 猫同じからず」(昭和56年2月23日)の切抜きが挟まれていた。

『クロッカスの花』には「ホオジロの声」(昭和45年7月28日)、「柿の実に喜び落胆」(昭和45年12月16日)の切抜きが挟まれていた。
例えば「柿の実に喜び落胆」は久しぶりに庭の柿の木に実がなったが、特に大きな2つが甘そうだと楽しみにしていたら一つはひよどりにつつかれ、あわてて二つとももいだが、つつかれて穴が開いたほうは甘くて無事なほうは渋くてガッカリという内容のもので、もうすでに庄野潤三ワールド全開だ。

どの切り抜きも、切り抜き方から挟み方まで、すみずみまで丁寧さがにじみ出ていて、きっと前の持ち主もすごい庄野潤三ファンだったんだろうな、おいそれと雑な扱い方はできないなぁと感じた。

前の持ち主がどこの、どのような人か、そんなこと永久に知ることもないであろうが、見知らぬ土地の、見知らぬ人の、もう当事者たちすら忘れてしまったタイムカプセルを見つけてしまったような、不思議な気持ちだ。

たかが新聞の切り抜きと言うかもしれないけれど、大事にしたい。



そういえば古本屋で松浪信三郎の『実存主義』(岩波新書)を買ったきにも同じような経験をした。
何処でだったか失念したが、車谷長吉氏がこの本に触れて「人間とは死へと向かう存在であるという思想が語られていることに愕然とした」と言っていたが、僕が買った古本には、おそらく前の持ち主の中・高校時代の友人からであろうハガキが一枚挟挟まっており、そこには新しい学生生活への希望と、「いま、彼女とラブラブで〜す」みたいな内容のことが書かれてあった。
どういう気持ちで、前の持ち主はこのハガキを、この「人間とは死へと向かう存在であるという思想」が語られているらしい本に挟んだのだろうか?