黒いスーさん

僕は昔から猫を飼うことに憧れていた。
しかし親が動物が嫌い(世話をするのが嫌い)だったので、猫なんて論外だった。

といっても、母の実家には猫がいたのだが。

その猫はシロといって、真っ白な猫ではなかったが、だいたい白い猫だった。

子供が嫌いで、盆や正月に親戚中の子供が集まるとフッといなくなるような猫だった。
タツに足を入れようとしてもコタツの真ん中にシロがいるので子供はシロを丁寧に避けながら足の位置を確定しなければならなかった。

そんなシロも一度だけ、シロ自身のほうから僕のひざへ乗ってきたことがあった。
シロが死ぬ前の年で、そしてそれがシロと会った最後のときだった。


祖母から聞いた話では、本人は何処か姿を消して死にたかったようだが、シロは老衰し切っていて家を出たぐらいでバテてグッタリしているのを祖父に見つけられ、連れ戻された。

だが結局は裏の畑で(きっとそこまで歩いてくのが限界だったのだろう)シロは一人で、静かにその眼を閉じた。

家族みんなに看取られて、自分を取り囲む人々の姿を目に焼き付けながら死んでいく猫もやはりいるのだろうか。わからない。きっといてもいいと思うし、幸せだと思う。

でも、スーさんは(そしてシロも)それとは別の方法を選んだ。

スーさんは電気アンカが置かれたいつもの寝床で、誰にも気づかれないように眠るように死んだ。
その眼に最後に映ったものは何だったのだろう。

それが祝福と安らぎであることを僕は信じたい。