sniff2005-07-26

そういうわけで、携帯電話を機種変更した。
今まで約6年ほど使っていたN502iはモノクロ画像なうえにカメラも付いていなかったけど、特に故障するわけでもなく、普段使うぶんには全く不足の無いものだったので重宝していた。特に電話をかける相手もいないし、かかってくることもほとんど無かったので。

今度のSO506iSという機種はデジタルカメラも付いているし、意味はわからないが音楽も聴けるらしい。この機種のオレンジ色は何だか携帯っぽいオレンジで可愛い。

時代は変わっているのだな。浦島太郎のような気分になった。

さっそくフクちゃんを激写。



話は前後するが、先週の土曜日(7月23日)、ナマ浅田彰そして、ナマ宮島達男を見に熊本市現代美術館へ。

ギャラリートークはときどき、ここの館長のいい加減な発言で会場がシーンとなったりしたが、それさえ度外視すれば、「MEGA DETH 1999」(メガ・デス=大量死)を中心にしたナマ浅田彰やナマ宮島達男のトークはとても興味深かった。

浅田彰って、けっこう喋るんだなーって思った。でも、ただのおしゃべりじゃなくて、ものすごく頭が切れるひとが喋っているって感じで、気のせいかもしれないが、話を聞いているこちらの脳ミソもすこし活性化された気がした。

「MEGA DETH 1999」はその名のとおり、ランダムな速度で数字を刻み続ける青色LEDカウンターが、ある時、すべてが一度に消える。会場は真っ暗になる。MEGA DETH=大量死だ。

すべてが一度に消えてしまうことで20世紀を象徴する大量死を表現することは禁じ手であり、ベタすぎて、本当にやっていいかと悩んだと、宮島達男本人も語っていたが、浅田彰も言っていたように、ベタであることをあえて意識的にやるということもまた大きな選択の一つなのだろう。

このカウンターが一度に消える瞬間がどういうタイミングで来るのか、観客は全然知らない。宮島本人は「半日でもいれば・・・」みたいなことは言っていたが、僕らは幸運にも、会場に入って10分ぐらいしたとき、そのMEGA DETH=大量死の瞬間に立ち会うことができた。 

ほんとうに真っ暗になった。ふたたびカウンターの光が灯りだすと、なんだかホッとした。
前日に来た小学生が、MEGA DETH=大量死の瞬間にぶつかって、再び光が灯り始めたとき「生き返ったみたい」と呟いた気持ちがよくわかった。