街と、その不確かな壁

きのうは一日じゅう家の片付け。

いろいろと捨てるもの、取っておくものを選別していたら、村上春樹の『街と、その不確かな壁』のコピーが出てきて、しばらく読んでしまう。こんなことがあるから片づけが進まない。

雑誌に掲載されたがその後は単行本にも収録されておらず、現在の『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』の原型になった中編小説・・・というふうに記憶しているが、いつコピーを手に入れたかは覚えていない。きっと図書館地下の書庫で「文学界」だかなんだかのバックナンバーをコピーしたのだろう。

こんな文章で始まっている。

語るべきものはあまりに多く、語りえるものはあまりにも少ない。
おまけにことばは死ぬ。
一秒ごとにことばは死んでいく。路地で、屋根裏で、荒野で、そして駅の待合室で、コートの襟を立てたまま、ことばは死んでいく。
お客さん、列車が来ましたよ!
そして次の瞬間、ことばは死んでいる

読んでみると、そこにあるのはあまりにも暗く、寒い世界のように思えた。他の作品にくらべて、村上春樹的な軽さというか、ユーモアがなさすぎて、きっとこのあたりが作者本人に書き直しを迫ったものなのではないかとも思ってしまう。だが、それは未完成、試作、ということとは違う。むしろ、そこには、他の作品すべてを通じて通奏低音のように静かに鳴り響くものがたしかにある。だが、ふだんはそれらは背景よりも、ずっとずっと奥に潜んでいて、その呼吸の音がかすかに聞こえるぐらいなのだが、ここでは作者がその何かをあからさまにことばで捕らえようとしているようにも思える。

妻に「欝っぽいときのホッチキスカンガルーの文章に感じが似てる。」と言われたが、逆です。ホッチキスカンガルーが村上春樹的なものをパクってるんです。


それはともかくとして、近い将来にそなえて、とりあえず部屋というか、家のスペースをなるべく広く確保しておきたいと思って、ふだん使っていない押入れの中にある古い布団や、何かの荷物が入っっていたダンボール、開封されたっきりのダイレクト・メールなど、とにかく、山のようになった要らないものを捨てていく。

そのなかでも一番大きいものは、今年わが家にやってきた電子ピアノが入っていたダンボールだ。ダンボール自体、今までに見たことが無いほどに固く、頑丈なもので、しかも、デカイ。なんだか、クジラの解体に挑むような気持ちで、ちょっと途方に暮れてしまった。
結局、この日はこのクジラに挑むところまでたどり着くことができず、挑戦はまた後日。