いい人なんだけど

その日はあまりにも疲れていたのかもしれない。

もしスーパーに行かずに温泉にそのまま行っていたら、あと30秒早く(あるいは遅く)家を出ていたら・・・だが、そんなことをいくら考えてもナンセンスだ。

オーケー、認めよう。僕の車は現実的に、あるいは超現実的にバックで下がってきた車にぶつけられたんだ。そこにはギリシャ悲劇に認められるようなどんなパトスも、あるいは教訓すらもないかもしれない。いや、教訓なら小リスが冬篭りのために貯め込んだ木の実ぐらいの分量はあるかもしれない。

だが、少なくとも何らかのメタファーなどではないし、脱構築的な余地などというものは、猫がその猫的運命にかけて犬や熊では決して無いように、決して存在しない。

現実はいたってシンプルだ。だが、シンプルであるということは同時に複雑さをその内にはらむ、あるいは同義だといっていいかもしれない。
それは猫という存在が、一言で猫といってもキジ猫やアメリカン・ショートヘアーやスコティッシュ・フィールドや、あるいはポンペイ、シャムといった名によって分節化されるのと一緒だ。
相手のドライバーが飲酒運転だったこと、彼の車がバックしてうちの赤ベコ号がの後部タイヤのあたりのボディが凹んじゃったこと、彼が保険に入っていないこと。

言葉にしてみるとやっぱりこう思う。現実はいたってシンプルだ。だが、シンプルであるということは同時に複雑さをその内にはらむ、あるいは同義だといっていいかもしれない。


しかし、何よりも幸いだったのは、駐車場内での出来事だったのでお互いにスピードも出しておらず、同乗していた妻やぼっちゃんにもケガひとつ無かったことだ。


彼の飲酒運転絡みで僕も警察署へ行って調書を書かされるはめになった。実際には僕が言うことを整理して、それをお巡りさんが記述して、その内容を確認して、サインして指紋を押すだけだったが、けっこう疲れた。

ところでそのお巡りさんの調書は「もしもっと酷い状態になっていたらと思うと今更ながら怖くなります云々」というようななんだか可愛い文句で締めくくられていたが、何か定型のようなものがあるのだろうか?

偶然だったが、僕担当のそのお巡りさん(ほんとうは交通関係ではなく泥棒や犯罪関係の人らしい)は僕と同姓だった。しかも調書書いてる途中「お子さんは8ヶ月ですね・・・そういえば、僕のところ今日が予定日なんですけど、まだ下がってきてもいないみたいなんですよねー」なんて話していた。その後どうなったのかな?無事に生まれてくれればいいけど。


なんとなく、事故のことばかり考えないようにしながらも、ふと思い出すとあーっと思うような一日だったが、夕方、大学の先生から電話があった。

僕が投稿した論文が論集に採用されることが決定したらしいのだ。
ただし、もう一度見直しをしたうえで、の話らしい。でもそれにしても凹むような(車は文字通り凹んでるけど)ことがあった後だったので、ちょっと嬉しかった。車ぶつけられて凹まされて、なおかつもし論文も不採用じゃ、目も当てられない。

これがまさに美輪明宏先生の「正と負の法則」か?


ところで僕の先生曰く「論の構成も読みやすいし、方向性もわかりやすい。でも、切り口の鋭さが足りない。」

あぁ・・・なんだか僕という存在について、何か本質的なことが言われた気がする・・・。
恋愛でいえば「いい人なんだけど、付き合うのはちょっと・・・」という感じだろうか。