久しぶりの古本屋

先日、誕生日だったのだが何となく誕生日って憂鬱だ。
別に歳をとるのが嫌だとか、また一歩死に近づいたとか、そういうことではない。

8月生まれの人ってみんなそうなんだろうけど、夏休み中に誕生日が来ると、みんなに知られず、ひっそりと誕生日を迎えることになる。

その「ひっそり感」がそのまま自分の存在自体を覆ってしまうようにこの日は感じられて、そんなわけで誕生日になると、自分がことさら世の中から隠れたひっそりとした場所で生きているような気にさせられて、疎外感すら感じてしまう。

それだけじゃないな。
たとえばうちの親は僕の誕生日になるとデパートなんかに連れて行ってくれて、何か欲しいものはないかと聞いてくる。しかし、こっちも子どもなりに気を使ってあまり高いものをねだらないように、いったいどれぐらいが親にとって適正価格なんだろう?などと考えながら答えあぐねていると、親はささっと決めろと怒りだすし、逆に誕生日だ、わーいと浮かれていると、調子に乗るなと怒りだすしで、子どもは子どもでなかなか大変だった。

うまくいえないけど、誕生日って別に望んでもいないのに舞台の真ん中に引っ張り出されてむりやり主役さらされるような理不尽さがある。こんなことなら誕生日じゃないほかの364日の方がどんなに気が楽だろうと子どもの頃は思った。


きのうは誕生日のプレゼントを妻が買ってくれるというので街へ。

でも、ぼっちゃんとの日々の中、物欲がかなり衰えているので、欲しいものを聞かれても思考ストップ状態。

考えながらもタワーレコード、古本屋を回る。
ぼっちゃん、古本屋でもご機嫌。お店のひとたちに笑顔をふりまく。

古本屋で買った本。

恋愛のディスクール・断章

恋愛のディスクール・断章

持ってなかったが格安だったので購入。
ごく最近のことだが、いまだに女性週刊誌の恋愛特集でオススメ本として挙げられていた。
しかし、パラパラとページをめくると死、不在、想像界といった話が語られてていて、やはりロラン・バルトの本なのだなと思う。

人はけっして他人のために書くのではないこと、何を書こうとも、そのことでいとしい人に自分を愛させることにはならぬのだということ、エクリチュールはなにひとつ補償せず、昇華もせぬこと、エクリチュールはまさしくあなたのいないところにあるのだということ、そうしたことを知ることこそが、エクリチュールの始まりなのである。(p.151)

すくなくとも、この本を読んだからといって彼女/彼氏ができることはなさそうだ。

陰翳礼讃 (中公文庫)

陰翳礼讃 (中公文庫)

学生時代、部活の後輩(建築科)に貸したまま戻ってこなかった本。200円で購入。

職業としての学問 (岩波文庫)

職業としての学問 (岩波文庫)

持ってそうで持ってなかった。100円。

実際に買ったのは角川文庫版。これも100円。
食事のときはいつもポロポロごはんをこぼしたり、酒に酔うと手品を始めたり、娘の目から見た萩原朔太郎。でもその描き方はきわめてクール。