きのうのケーキ占いの結果(あなたなタマゴボーロです)のボーロについての記述を読んでいたらライプニッツモナドを思い出した。

世界というものを、デカルトは思惟と延長という二つの実体として考え、スピノザは絶対的に唯一つの実体(すなわち神)として考えた。そしてライプニッツは二つでも一つでもなく無数のモナドとして考えた。

とにく、世界はツブツブなのである。しかもそれぞれのモナドには「窓がない」つまり、モナドモナドのあいだには影響関係も相互関係もないのである。でも、ある物体Aがある物体Bにぶつかれば物体Bは押されて動くわけで、それぞれのツブツブ(たとえば人やモノ、猫)のあいだに何も関係がないというのはどうも合点がいかない。
ライプニッツはそれに対してこう答える。物体Aが物体Bに当たったから物体Bが動いたわけではない。君が微笑みかけたから猫が寄ってきたのではない。微笑みと猫の接近は「そうなるように」神があらかじめ決めておいたのである。
だから組み合わせによっては君の微笑みかけとそれに呼応するような猫の宙返りという事態も、そのほかのもっとすばらしい事態も無限にありうる。でも、その無限の組み合わせのなかから、一番ましなものを神は選んだのだ・・・。

それはともかく、「孤独です。世界は常にボーロの向こう側にあり、ボーロは取り残されたまま」であるとすれば、世界はモナドではなくボーロなのではないだろうか?


はてな手帳出し」というものをやってみる。まだ未見だが、クウネルの最新号でも手帳出しをやっているらしい。

ふと2000年に使っていた手帳が出てきた。
この頃愛用していたもので「Letts」という英国文具メーカーのもの。
僕が使っていたのは見開き2週間タイプ。大きさ、表紙の硬さ、使われている紙の質感がすごく使い勝手が良かった。
まだサラリーマンだったころで、いろいろと仕事に必要なメモのどが表紙の裏に貼ってあったりして、「こんな熱血な時代もあったんだなぁ」とわれながら感慨深い。
1月28日のところに「20:30〜 ボーリング」と書いてあるが、ボーリングなんてっ行ったかな?しかもなぜそんな遅い時間に?

   

昔はこんなにシックなものを使っていたのに、今では

ソニプラで買った「ラチとライオン」の手帳(しかもマンスリーのみ)なんて30過ぎの男が使っていていいのだろうかという疑問がないではない。