きのうの夜は、ぼっちゃんの蹴りが顔にことごとく命中したことで何度か目を覚ました。

朝は起きぬけの張り手が、これもまたことごとくきれいに僕の顔にヒット。

パン。
パン。
パン。

乾いた快い打撃音と、ぼっちゃんの笑顔が朝のしじまに響く。


大学時代、ぼくが入っていた部活が、今度から「留年したら退部」になるという旨のメールを年末にもらった。
しかも現役が自主的にそう決めたというのではなく、今の部の頽落ぶりを嘆く数人のOBOGと定年で退官した元顧問が額を寄せ合って記した「改正案」に沿って、そうなるらしい。

言っていることもセコいが、やっていることもセコい。

でも、大学生なんて、或る程度人数が集まれば、そりゃ留年する奴だっているさ。
「どんなに練習をがんばっても部にとどまる保証が無い」という状況で、どうやったらモチベーションが保てるのだろうか。

でも、思い返してみると、そんな留年した先輩が妙に「すげえ」と思えたりした。
そう、実際にそんな先輩たちの方が僕にいろんなことを教えてくれたり、見せてくれたりした気がする。自分のフレームの外はもっとずっと広くて、そこにはとんでもないものが、中にはちょっと怖いものもあるし、妖しげなものもあるけど、いろいろあるんだということを感じた。
僕は残念ながら浪人することも留年することもなく卒業してしまったが、当時は(そして今も)なんだかそんな自分がなんともつまらない奴というか、「決められたレールの上をきちんと進んでいるお利巧さん」のように思えて、ちょっと先輩たち(あるいは同じく留年した後輩たち)が眩しくすら感じたし、今も感じている。大学にいることができるギリギリの8年をフルに使った先輩(何人かいた)には嫉妬すら感じる。



こんどの「留年即退部」ということを決めたひとたちは、きっとそんなことチラリとも考えない人間なんだろうな。
彼らが考えているのはこういうことだ。

弛んでいる人間がいる。よし、排除しよう。そうすれば、部は立て直せる・・・。


・・・今、自分で書いてちょっと背筋が寒くなった。

ぼくが入っていた部というのは、社交ダンスを競技にした所謂「競技ダンス」というものをやる部だ。はっきり言って、やってることはショボイ。クールではない。
でも、いやしくも「ダンス」をやる人間がこんなに冷徹で、創造性のかけらも見出せないようなことを言うのはどうかと思った。

ワルツとかタンゴとか、種目も限られていて足型やルーティンも決められていて、いわゆる「フリー」なダンスはできないけれど、それでもふだんの悪い姿勢や歩き方に気づかされたり、関節の動きの範囲を意識したり、自分の体の硬さにウンザリさせられたり、そこには日常的な身体運用のフレームを打ち壊して、あたらしい身体を獲得しようとする創造的な営みがあったはずだ。パートナーと動きやタイミングが同期し、まるで自分ではないような動きやスピード(2人でやっているから「自分ではない」の当たり前だ)を経験したときの身体の震えは、今でも忘れない。

それはシステムにのっかってはいるけれども、そのシステムを一度チャラにしてみよう、という試みだったような気がする。

きっとみんな僕と同じような経験をしてきたと思う。(たぶん・・・)
なのに、どうしてあんな冷徹でシステマティックなことを言って良しとしているのだろう。

話はそれたけれども、ぼくは留年しようが何しようが、(仮にいわゆる「教育的立場」からみらばそうした人たちは「不快」であるとしても)、そうした人たちと同じサークルに居ることは、むしろあってもいいと思う。

中にはちょっと問題のある人もいるかもしれない(実際にいたしね。)。
そういう人たちを自分たちのうちに置いておくという事は、なるほど組織にとっては不確定で、カオスチックな要素がなくならない分、リスクは大きいかもしれない。

でも、これまで、部をドラスティックに前進させた人たちの多く、そしてその礎を築いた人たちの多くは、そんな不確定で、カオスチックな要素をもった人たちだった気がする。

逆に、そういう人たちがいたから、そういう人たちがいた部だったから僕はかろうじて「生き残れた」のかもしれないとも思う。

僕にとってはきっと「アジール(避難所)」だったのだ。


もしかしたら、と思う。

もし自分にこんなアジールがなかったら、とりあえず死なずには済んだかもしれないが、もしかしたら、今ごろストーンウォッシュ加工の2プリーツ・ジーンズに英字プリントシャツの裾をちゃんと入れて、よく見ると「N(ニュー)・バランス」ではなく、「Z・バランス」のやたらゴツいスニーカーを履いて、またよくみると「adidas」ではなく「adibas」のキャップを、しかもツバを後ろにして被って、「オレってナウいじゃ〜ん」って呟いていたかもしれない。