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月曜日から火曜日にかけて、妻の実家のある宮崎へ。
一泊二日って、けっこうあっというまだ。
妻の父と叔父(義父の弟)の兄弟二人展の設営の手伝いと、なにより個展自体を見たかったのだ。
義父は油絵、叔父さんは写真とジャンルは違うけど、作品を会場に並べてみると、うまい具合にそれぞれが際立っていてなかなか面白かった。
ぼっちゃんは設営準備中も、火曜日の個展初日も、会場をズリズリとハイハイで気ままに闊歩。
月曜日に宮崎へ向かう途中、山を下るにしたがって耳が気圧の関係で圧迫されたようになった。そんなことはよくあることなんだけれど、今回は結局その日の夜になっても元に戻らず、次の日、宮崎から家に帰ってきてもやっぱり治っていなかった。
しかも左耳だけというのが気持ち悪い。
いろいろ調べると、この耳が圧迫されるような、水が入っているような感じは、突発性難聴が発症したときの症状も実はそうらしい。突発性難聴って発症したらなるべく早く、何十時間以内に病院に見てもらわないと手遅れになることもあるというので、ちょっと不安になる。
そういえば、最近、(対人)ストレスを感じることが多かったからなぁ・・・。
そうそう、結局、OB・OG会の人たちのやり方に反論したら「お前は口出しするな」って言われたりしてガックリきたりしたもんなぁ・・・。
でも、ガックリとはちょっと違うか。
むしろ諦めがついたというか、気持ちの踏ん切りが着いたというか、スッキリしたといったほうが正確かもしれない。
きっと、「話せばわかってくれる」と信じていた、あるいはアテにしていた自分が甘かったのだと思うと、いろいろとスッキリする。
それはつまり、「これだけ言えば君らも考え方変えるだろ?」と言っているのと同じで、それはある種の傲慢さだったのだ。そういう自分の中の傲慢さに気づかされた。
傲慢さは同時にある一つのポイントへの固執であり、結局まわりと自分の境界線を見失っている状態に近い。
それがわかって、それをスポーンと突き放すと、ずいぶんと軽くなった。
そんなやり取りもあって、すっきりした気になってたけど、ちょっと精神的に疲れていたのかな、と思いつつも朝になって病院の耳鼻科へ。
結局、風邪で鼻炎っぽくなって鼻が詰まった結果、耳の穴の中の空気圧調整ができなくなっているだけだった。
しかも、鼓膜が耳の中で内側に凹んで「)」となっているために、鼓膜の動きが少なくなって低い音が聞き取りにくくなっているらしい。
そこで、鼻から空気を送り込んで内側からその空気圧で「)」となっている鼓膜を「(」という状態にするという処置をしてもらった。
そしてまさに鼻の穴から送り込まれた空気が耳を通って鼓膜を押しやって貫通!という瞬間、ズボボ、ズヴォバリバリゴロゴロゴウオーという音が頭じゅうに響いた。
・・・笛っていつもこんな気持ちなのだろうか?
でも、人間だって、なろうと思えば楽器にだってなれるのだ。
読みすすめるのが勿体無いような気がしていたが、最後は引き込まれようにグイグイと読了。読み終わった時の感触が「羊をめぐる冒険」をはじめて読んだときの感触に近い気がしたのは気のせいだろうか。
- 作者: スコットフィッツジェラルド,Francis Scott Fitzgerald,村上春樹
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