昨日ぼっちゃんを保育園に迎えに行くと、「明日、雪遊びをするかもしれないので、よかったら長靴をもってきてください」と言われたが、よく考えるとぼっちゃん用長靴なんて持っていなかったので、夕方、お風呂にいくついでにホームセンターでぼっちゃん用に黄色い長靴を買う。

最初の店では、ちょうどいいサイズがないうえ、一足2000円もした。(へたをすると、僕が今日着ている服の上から下までより高い)あの時点で妥協しなくて良かったと思った。

長靴を買って、さあ風呂にいこうと思ったが、すでにホームセンターの駐車場が凍って軽いスケートリンク状態に。

いつも行くお風呂はここからさらに標高が高くなるので、まだこんな時間(7時前)にこのあたりがこんな状態だとするとかなり危険な気がして、風呂に行くのはあきらめて家路に着く。

はたして、家につく頃にはぼっちゃんは眠りの中へ。今日も夕飯までたどり着けなかったか。しかも風呂まで入り損ねてる。


妻がかぎ編みでぼっちゃんの手袋を編むというので、僕は棒編みでぼっちゃん用のマフラーのようなネック・ウォーマーを編むことにした。妻の手袋は親指が入るところを作ったり、途中で色を変えたりと色々とテクニックが使われているが、僕のはただただ、一番ポピュラーな編み方で延々と編んでいけばいいので楽だ。
ちょうど昨年の今ごろ編んだぼっちゃん用のチョッキが、今、サイズ的にちょうど良くなったので最近よく着せている。編みあがったときは「デカイなぁー」と思ったものだが。

それにしてもこのチョッキ、もっと可愛い色にすればよかった。何も考えず自分の趣味でチャコールグレーの毛糸で編んでしまって、ぼっちゃんが子どもなのに妙にシブ好みっぽく見えてしまう。ぼっちゃんのテーマカラーは白と黄色とピンクなのであった。


夜、「プロフェッショナル」の仕事術特集を見る。

忙しくするのが秘訣なのかも、と思った。
といっても、追われるようにバタバタとする「忙しい」ではなく、自分を忙しい状態に持っていくことによって、いろんな文脈に自分を結び付けていくように、自分から分泌する「忙しさ」を燃料にしていく。
「忙しい、忙しい」と青筋立てている人が意外と無駄が多かったり、スケジュール管理に甘かったりするのはこのあたりの按配だろうか。(そういえば、スガシカオも複数の仕事を同時進行させ、その日仕事Aが上手く進まないときは仕事Bをやり、仕事Bがうまく進まない時は、その時できそうな仕事Cを進める・・・というようなことを言っていた)

最後の茂木さんのVTRを観ていて、「やっぱり他人に何言われようが、他人が何してようが、自分のやりたいことをやっていくことが、(他人を負かすとかそういうことじゃなくて)『答えていくこと』なんだ」と思った。

村上春樹が日々のルーティンを守る、とにかく書けなくても机に座る、というような習慣化を自身の仕事の流儀として語っていたが、それも今回の話と無関係ではないだろう。
日々のルーティンを守るということは一見、「忙しさ」から縁遠いような気がするが、毎日同じことが起こるわけではない。ときには急な用事も出来るし、朝の掃除や片付けに手惑うこともあって、なかなか予定通りにいくとはかぎらない。刻々と変化する日常の中でルーティンを守るということは、強い意志と集中力、判断力、臨機応変なスケジュール管理が必要なのではないだろうか。