朝、ぼっちゃんを保育園に送りに行くあいだ、ラジオから聴いたことがある曲が流れていた。絶対に聴いたことがあるが、思い出せない。

2楽章、3楽章と進むにつれ、モーツァルトの曲っぽいなぁと思いながら、家に帰り着いてNHKのサイトで確認すると、ギュンター・ヴァントが指揮するドイツ放送響の、ベートーヴェン交響曲第2番だった。

なぜか、急にこの曲が大好きになってしまった。
ふつう、ベートーヴェンは3番から大化けしたんだということが言われていて、確かに、どこかハイドンのような、モーツァルトのようなこの曲には、いわゆる「べートーヴェン汁」は比較的少ない。

だからといって、「巨匠以前」の作とか、若書きの作品とか言って簡単にあつかうには、あまりに素敵すぎる曲のように思う。

ハイドンモーツァルト、あるいはサリエリらの影響を受けながらも、伏流のように、そこには換え難い何かがあるのである。
むしろ、そうした先輩たちの生み出す流れの中でこそ、自分自身のうねりを見出すことができたのではないだろうか。


きのうは妻が仕事の関係で9時過ぎにならないと帰ってこれないので、夕方保育園に迎えに行ってからか、ずっとぼっちゃんと2人きり。

今日は小学4年生との交流会があったらしく、またまた小学生女子にモテモテだったらしい。

妻も以前、「お姉さんがいると、ふだんしないような、とくべつ可愛い顔をする」と言っていた。きっときのうもそうだったんだろう。

お昼から、豚挽き肉、タマネギを炒めてケチャップで味付けしたスパゲティを大量に作る。

イメージとしては、昔、大学生だったころよく行っていた定食屋のカウンター(カウンターだけの店だったけど)に置いてあったやつだ。

この店は、ご飯の盛りはもちろんおかずの量も半端ではなく、文字通り伝説の店だった。

まずカウンターに座るとゆで卵が出てきて、さらにカウンターには、大鉢に盛られたスパゲティ、サツマイモの天麩羅、マカロニサラダなどが随所に置かれていて、それは自由に取って食べていいようになっている。

初心者はそこでこのカウンターのものを食べ過ぎて、メインである定食を食べきれなくなってしまう。だから、その按配が難しい。
僕も慣れないうちは、いちおう完食はするのだが、アパートに帰り着くまで何度も吐き気に襲われたものだ。

でも今考えると、あのころの悩みの90パーセントは「どうすれば満腹感を達成できるのか」ということだった。女の子にはあまりにもモテないので、そういう悩みは、悩みとしてはほとんど霞んでいた。

それよりもどうすれば満腹になるか、ということばかり考えていた気がする。

菓子パン一個買うにも、表記されたグラム数はもちろん、手にとって重さを比べながら買っていた。

それでも部活をやっていたから全然カロリー補充が追いつかず、部活の男子は、たぶんみんな同じぐらい食べていたけど、みるみる痩せていっていた。(なぜか女子は男子が痩せ細っていけばいくほど逞しくなっていった。)

若い頃に戻りたいとか、あの時代あの頃に戻りたいとか、そんなことはふだん全然思わないのだけれど、あの食欲に追われる動物のような日々にだけは、すこしだけ戻りたいと思ったりする。


昨晩の僕の夕食。(妻は弁当が出たらしい。)

白ご飯にスパゲティ、コロッケ。