きのうも妻が仕事で遅かったので(しかも打ち上げ飲み会もあったので)、夜までぼっちゃんと2人きり。

ご飯を炊いてポテトサラダを作り、夕飯にする。
でも保育園の帰りにありずみで買ったクリームパンを食べたので、あまりポテサラは食べなかった。単に美味しくないだけっかもしれないけど。


飲みから帰ってきた妻から、成長物質の話を聞く。
飲み会で一緒だった保母さんによると、子どもは寝ると、寝て2時間後ぐらいに脳内に成長物質が分泌されるらしい。


何がどう具体的に成長するのかはわからないが、その物質は、それじゃ夜中の12時に寝て2時間後に出るかといえばそういうものでもないらしく、やっぱり早寝のほうがいいらしい。
そう考えると、8時か9時ごろ寝るぼっちゃんは分泌しまくりということなのだろうか。


ただ、最近、こういう科学的っぽい話は、内容がどうであれどうも眉唾な気がして、どう受け止めていいかわからない。


最近、グレン・グールドの『Glenn Gould Reader』のなかの、「Stokowski in Six Scenes」という文章を英語の勉強のつもりでチビチビと読んでいる。

Glenn Gould Reader

Glenn Gould Reader

翻訳(『グレン・グールド著作集1・2』)も出ているが、値段が高くて買えないのだ。

先日久しぶりに聴いたベートーヴェンのピアノ協奏曲5番がかなり良くて、ストコスキーについてグールド自身が論じているところが読みたくなったのだ。

まだ最初のほうなのだが、やたらと「avoid」とか「escape」という単語がやたらと目に付いて、らしいといえばらしいなぁ、とも思った。

確かに、政治やテクノロジー、昼メロの心理学について語り合うことのできる友人もこの音楽業界にいないわけではない、とグールドは言うが、大事なのはそのあとに続く部分だろう。

in whose presence one can dare to be alone with one's own thoughts and share that unembarrassed silence which is the true marak of friendship. (p.258)

彼らの前ではおのれ自身の思索に閉じこもることもできるし、そして気まずさを感じることのない沈黙、友情の真のしるしである沈黙を、分かち合うこともできる。

目のまえで急に黙り込まれてもなんだが・・・、でも、沈黙ですらコミュニケーションになる関係というものが、ほうとうに稀にしか得られないものだというのもわかる気がする。

ただ、むしろ無口な自分にとっては、「どれだけ喋れるか」が切実な問題なので、どれだけ喋ればこのような沈黙を生むことができるのだろう、と考えてみたりする。