きのうニーチェの引用のところに「西尾幹二訳」と書いたら、西尾幹二がキーワードになっていたので、ポチッと押してみると、ちょっとガッカリした。

まぁ、wikipediaにしても、はてなキーワードにしても、どれだけ正確なことが書いてあるかはいつも疑問符付きで読まなければならないと思うのだが、それにしても、翻訳にしろ研究にしろ、偉大な功績を残した人がどうしてああいうふうになってしまうのだろうか。

どこかで「自分は偉いんだ」と思ってしまうのだろうか。「そんな偉いオレ様がこの国を変えるんだ、守るんだ」と思ってしまうのだろうか。

老いるとは、そういうふうにアタマが固まってしまうことなのだろうか、と最近の個人的
な経験をふまえつつ、思った。


もちろん肉体的には今でも日々老いているのだろうし、みんながみんな歳をとると酷いこと言い出したりやりだしたりするわけではないというのも知っているが、それでも、老いるということの嫌な一面を見てしまった気がする。

それにしても、くそ〜っ、オレもいつか老いてしまうのか?

ブライアン・アダムスの「18 till Ⅰ die(オレッち死ぬまで18歳)」を聴きたくなったぜ!

18 Til I Die

18 Til I Die


ぼっちゃんを散歩させつつ、図書館のリサイクルコーナーの覗いてみるが、とくに収穫なし。

ついでに図書館で本を借りる。
なにげに目に付いたので、養老孟司の『バカの壁』、『死の壁』、『超バカの壁』のバカ三部作を借りる。そういえばすごいベストセラーになったんだった。当時は売れすぎていて読むのが恥ずかしかったが、もういいだろう。


ひきつづきグレン・グールドを読む。

In print,or via the electronic media,the same data have quite a different impact; they can be edited to suit one's mood ,to fit one's experience,to protect one's vulnerability.(p.259)

前半は確かにそうだろうが、はたしてそれがいつも「傷つきやすいところを守るために」かどうかは、ほんとうにそうなんだろうか。むしろ傷ついたり、腹を立てるために読み替えるてしまうこともある気がする。電子メールの場合とか。

でも、それだって、傷ついたり、腹を立てて「なんて酷い奴なんだ」と思うことで自分を守ることになっているのかもしれない。


夕飯は薄切りスペアリヴとジャガイモを焼いたもの。ひじき入りキンピラゴボウ。館長にもらった厚揚げを焼いて生姜醤油で。


はじめての試みで、youtubeの動画を貼ってみる。
最近、なんだか眠いし、よく夢を見る。

この「ソリトン・Side B」の教授の回はビデオにとって何回も見た。(どこいったんだろう?あのビデオ?)
「情報に対する或る種の禁欲主義」とかいうことを教授が言っていたが、ネット社会になってみるとなるほどそういうことかと思う。

個人的には、この演奏の後のエンド・ロールで流れていた、「アモーレ」のピアノソロ・ヴァージョンをバックに収録の合間みたいな映像のユルイ感じが好きだった。

ピアノのそばに立っているひとはもちろん緒川たまきさんです。