きのうの連絡帳の給食の欄に、「お友達のぶんも食べました」と書いてあったぼっちゃんは最近、妙にリズム系。

お気に入りの曲が流れたりすると身体を横に揺らしてノッている。しかもちゃんと音楽と合っている。なぜか夕方の、正確なタイトルは忘れたけど、変な子供向け料理アニメ(というよりあれは紙芝居に近い)のエンディングの曲に妙に反応する。
あと、「ひらひらひらひら、蝶々さん〜」と歌うと両手を手首の動きも滑らかにひらひらさせ、「ブンブンブンブン、みつばちくん」と歌うと腹に当てた手をバタバタさせる。この二つは常にワン・セットである。

別ヴァージョンとして「スイスイスイスイ、トンボさん〜」と「バタバタバタバタ、小鳥ちゃん」がある。


なんとなく久しぶりに思いつきでプラトンの『饗宴』を読む。

饗宴 (岩波文庫)

饗宴 (岩波文庫)

はるか昔に読んだきりだったので、たしか大の大人が明るいうちから集まって酒を飲んで管を巻いて、少年愛について語り合うという、そんな内容だった気がしていたが、改めて読むと、確かに大筋としてはそんな話なのだけれど、議論が展開していくさまなど、なかなか感動的ですらあった。

グラウコンという人が友人のアポロドロスに、かつてアガトンの家で行われたエロスについての議論の内容を聞こうとしたら、このアポロドロス自身も実際にはその場にはおらず、当時プラトンと共にその場にいたアリストデモスに聞いた話だという具合に、又聞きの又聞きというがちょっとややこしい話だ。

最後にソクラテスがエロスについて、それは少年への愛から肉体への愛、そして精神への愛へと高まり、究極的には美(善)そのもののを求めること、すなわち知恵への愛(フィロソフィア)へと高まるのだ云々と論説を終えた後、ソクラテスの元彼・・・ですらなく、ソクラテスに振られた男が酔っ払って乱入してきていかにソクラテスがいい奴かを語リ出す。いったいこの部分は何なのだろうと思ったが、要するに、プラトンが描くところの理想化されたソクラテスの姿なのだろうか。


大学時代に所属していたサークルの元顧問からメールが来た。
前回、白紙に戻した規約案の代りに、現役が自分たちで話し合って新しい規約案を作った。良かった、良かった、という内容だった。

暇人どもが、まだやってたのか?って思った。
どうせ子飼いの現役生に自分の案を通すよう言ったんだろう。

まぁ、それはどうでもいいけど、規約を作ればどうにかなると思ってる時点で、もうアウトだ。終わってる。

そんな暇があったら、一曲でも多くシャドウでもしたほうがいい。

みんなが見たいのは規約で縛られたお利巧さんのダンスではない。

ニーチェは『ツァラトゥストラ』の中の「読むことと書くこと」のなかで、「すべての書かれたもののなかで私が愛するものは血で書かれたものだけだ。血をもって書け」と語った。

そこにどれだけの怒号と、汗と、涙と、血が費やされたか。

いささか時代錯誤のバカ野郎の言い草に聞こえるかもしれないが、そうしたものこそが観る者の心を振るわせるのではないか。

恋人同士のカップリング禁止だとか、留年したら退部だとか、いいかげんそういう能書きに逃げるのはやめたらどうだ?

とにかく身体を動かしてみろ。話はそれからだ。