連絡帳の給食のらんに「完食です!もちろん!」ときのう書かれたぼっちゃんを送った後、なんだか朝起きてフトンの中でボンヤリしていたときから走りたかったので、昨日に続いてジョギング。きのうは500メートルトラックを8周(ウォーキングとジョギングを混ぜて)だったが、今日はぼんやりとウォーキングを2周、やっぱりぼんやりとジョギングを3周の軽いメニュー。

家に帰って、フトンを干す。いい天気だったから。

この町ももうすぐ町議選挙と町長選挙があるので、選挙カーがいろいろ喋りながら町中を走っている。長崎の事件なんか聞くと、選挙も命がけだなぁと思う。
知っている人が何人か立候補しているが、みんな頑張ってほしい。


「君の状況が厳しいのは知っている」と、たぶん僕のことをあまり知らない人にメールで言われたのでかなりカチンと来て「厳しいって、何のことだ?もし子育てや生活のことだったらそんなことどうこう言われる筋合いはない。そもそも、何をどう知っているというのだ?」と返事をした。

すると一言、「分かった」とかなりテンション低めな返事が返ってきて、70過ぎの爺さんに言うこととしてはちょっと厳しすぎたかなと思った。

そのまま死なれると、それはそれでこちらも気持ち悪いので、言葉が過ぎた、申し訳ないとまた返事をしたら、「研究者を目指す君の状況が厳しいということ知っているという意味で言ったのだ、もっと高所から僕のメールを読んで欲しかった」と高所に立ってるのはアンタだよ!なトホホ(死語)メールが帰ってきて、年寄りとはいえ、甘やかした自分の不明を恥じた。

よくドラマなんかで、「父親になって人間が丸くなったね」「おいおい、オレは昔から優しいぜ」なんて芝居みたいな(芝居だけど)やりとりがあるが、若い頃は「ふ〜ん、オレも父親になったら丸くなったり、優しくなったりするのか〜」なんて思っていたが、逆に沸点が下がったというか、怒りの瞬発力が上がっている気がしないでもない。これって、やっぱり問題だろうか。

妻に「なぜわざわざ火に油を注ぐようなこと言うのか」とよく怒られるが、油を注いで、実際にどんな風に燃え上がるかを見てみたい自分がいるのも確かである。
あるいは実はその人間関係を解消したいだけなのかもしれない。しかもできるだけ派手に。

もしかしたら、大人になって、自由度が上がって、自分の本性のようなものが嘘なく出てきているのかもしれないが、もしかしたらぼっちゃんにつられて幼児化しているだけなのかもしれないと思うとますます自分の不明を恥じるばかりである。

でも、よく考えると、怒りを感じるポイント(高いところから能書きばかりタレて人を利用しようとして、自分では手を汚さないで、いざとなったら責任逃れの言い訳ばかりして、気が小さいくせに権威的・・・など)は変わっていない気がする。

何事も簡単に「変わった」とは言えないのではないだろうか(自己弁護)。