また夜になって熱が出るといけないと思って熱さまシートと子どもポカリを用意していたが、結局もう熱は出なかった。どうやら今回の病気はこれでひとまず解散という感じらしい。

その後フランス語をコリコリ訳しながら、だんだん字が見えなくなって紙の上のインクのシミにしか見えなくなってきた(ゲシュタルト崩壊か?)ので2時ごろ就寝。


朝になって、8時ごろ花火が上がる。ああっ・・・今日は川べりの清掃の日だった。
腰や膝が砕けそうな身体をひきずりつつ、着替えて川べりへ向かう。といっても、うちの窓のしたがもう川べりんなのだが。

空き缶や、大水のとき流れてきた枝や流木を片付けたり、伸びた藤の枝を切ったりしていると一瞬、そこだけ深いところに足がはまって転びそうになる。人はこうやって溺れるのだろうか。それにしても、山や川に感謝、だ(?)。


テレビや新聞を見ないのでどれだけ大きく報じられているのか分からないが、チェリストロストロポーヴィチ氏が死去。
初めて買ったロストロポーヴィチのCDはバッハの無伴奏組曲で、「あのロストロポーヴィチがついに!」の鳴り物入りで発売されたのを学生の頃、学校生協で買ったのだ。ジャケットはたしかダリが描いたロストロポーヴィチのデッサンだったと思う。
ショスタコーヴィチをはじめ、献呈されチェロ組曲は数知れず、ダリに絵まで描いてもらうとは、まさに20世紀の偉人だ。

流れるように、歌うように疾走する演奏に、これがロストロポーヴィチか、としばらくはバッハの無伴奏はこれだとばかりに(というかそれしか持っていなかった)聞いていた。

しかし、その後カザルス盤を手に入れて、録音の悪さはどうしようもないとしてもその野太くスケールのデカイ演奏を知ってからというもの、ロストロポーヴィチ盤は出番が少なくなってしまった。

ソ連時代、ソルジェニーツィエンを自宅だか別荘にかくまったことで国外追放になったとか、そういう芸術家と歴史や政治が関わることが出来た、最後の世代の人だったのではないだろうか、と思う。そういう意味では偉大なる20世紀の証人でもあったはずだ。もちろん、現在でもいろんな社会的活動を行う芸術家や演奏家は存在するし、その人たちとロストロポーヴィチを比べてどっちがどうだと言うつもりもない。時代が違えば、戦い方も違うのだ。でも、だんだん20世紀が遠くなっていく気がする。

ついにみんな鬼籍に入ってしまった。

さりげないスナップふうのジャケットが大好き。ジュリーニもカッコイイけど、ロストロポーヴィチの眼鏡もイカしてる。もちろん演奏も大好き。うちにあるのは館長にもらったレコードを直接CD-Rに焼いたもの。だから、CDだけどトラック数がA面とB面の2つである。カップリングはサン・サーンスのチェロ組曲

ドヴォルザーク&サン=サーンスチェロ協奏曲

ドヴォルザーク&サン=サーンスチェロ協奏曲


まったくそれとは関係ないけど、最近考えてることと関係していることがあるのか、鷲田さんの記事が興味深かった。
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20070418dde012100021000c.html