先日、ぼっちゃんが熱を出したときに買った熱冷まシート、今になってよくみると「熱ひえシート」という類似品だった。しかし、熱ひえシートが先なら熱冷まシートが類似品ということになるが、でも、熱は下がったのでどちらでもいいのだろう。

きのうは午後から隣町に出来た新しい水源地公園へみんなでピクニックにでかけた。
こんな道で離合できるのか?というような細い道を車で走っていると、B5ぐらいの大きさの「あと2キロ」と書かれた看板があった。

せめてA4ぐらいの紙にしてよ、と思いつつ車を走らせるが、その後は分かれ道になってもいっこうに案内板も何もなく、いつの間にか山深い林道の中に迷い込んでしまった。

どう考えてもこれは違うだろうと思って必死にUターンし、戻るとあっけなくあった。やっぱり見落としていたのだ。

せっかく作ったのだから、もっと案内板とか看板を作ればいいのに、不親切だなぁと思いつつ駐車場に車を停めると、意外と小さい。テレビのニュースで見たときは、芝生や水遊び場もあって、そこでぼっちゃんも遊べるかなぁと思っていたけど、そういう感じではなかった。

確かに、そのまたりは水源地としては有名で、こんこんと湧き出る水はきれいだ。
でも、あまりに「作りっぱなし」で、藻だとか苔だとかが生えすぎてるし、水を汲むシャクもカビだらけ。ちょっとしたことなんだろうけど、そこはかとない「仕事の甘さ」を感じた。理念というか、コンセプトが無さ過ぎる。いったい誰のために作られたのかさっぱりわからん。


吉田秀和さんがロストロポーヴィチについて書いたものはないかと探していたら、カラヤンとのドヴォルザークをベタ褒めしていた。買いたいものリストに追加だ。

っていうか、館長持ってないかな?

私は、ときどき、ひそかに、思うのだが、プラトンは、「人間の認識とは洞窟の中にすわって、その壁に映る影をみているようなものだ、ほんとうのイデアを知るとは、そういうものではない」といったが、彼は比喩でもなんでもなく、自分の経験を正確に語っていたのだろうが、もし私たちが追体験するとすれば、それはこのような音楽をきくときではないだろうか?こんなこと、気恥ずかしくて、これまで書くまいとしてきたのが、このレコードをきいて、つい、書く気になった。そうとでもいうほかないからである。(p.472)

吉田秀和全集〈6〉ピアニストについて

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