「いつも○○ちゃん(女の子)を追っかけてはちょっかいを出しています」と連絡帳に書かれたぼっちゃん。以前にも同じようなこと書かれていた気がするけれども、ここまでくればすっかりストーカーだ。基本的にぼっちゃんはスキンシップが激しいので、いつもの散歩コース中にいる犬は、もうぼちゃんを見るだけで腰が引けていたりする。ハード・スキンシッパーにしてハード・ストーカー。でも、ぼっちゃんを見ると走ってやってきてお腹をつついたり、ベタベタしたりするほどぼっちゃんのことが好きらしいNくん(男の子)に対しては、ちょっと冷たい。ハード・スキンシッパーのくせにNくんのスキンシップに明らかに引いている。単に彼が女の子ではないからという理由もあるかもしれないが、「あら〜○○くんがいるよ〜。良かったね〜」と言うNくんのお母さんやお父さんの目の前で、あんまりつれない態度をされると父もちと居場所がないのである。
もちろん、すこし時間が経つと互いに慣れて2人で遊んだりするのだが。


昨年は何かとバタバタとしてしまってできなかったのだが、昨夜イソイソといろいろ梅を仕込む。前の日から水に漬けていた梅のヘタみたいなものを爪楊枝で穿り出し、水気をふき取る。フォークでプスプス何箇所か穴を開けて、ホワイトリカーにポトンと沈みいれたあと、ゾゾゾゾと氷砂糖を入れる。写真の一番左はホワイトリカー、真ん中は焼酎。そして一番右は十字に切り込みを入れた梅と氷砂糖を入れただけのものだけど、だんだん梅エキスが流れ出して梅シロップになる予定。

今月のクウネルのレシピによればハチミツを入れたり、香りづけにレモン、シナモンスティックなどを入れるのだが、あいにく手元にそれらがなかったので、それは又後日。まだぜんぜん色もついてなければ氷砂糖も溶けていないけど、漬けたばかりの梅酒の、梅の青さと氷砂糖の白さと液体の透明感の混合体は見ていて不思議な感覚を覚える。もちろんも刻一刻と氷砂糖は溶け、梅は色を変えていこうとしているのであろうが、時間が一瞬止まってしまっているのに立ち会っているようだ。

妻はもうすこし小さい梅を使って、梅のしょう油漬けを二瓶。けっこう梅の量が多かったのだ。そして梅のほかには、らっきょうのしょう油漬けと甘酢漬け。瓶モノが勢揃いするとなかなか壮観。
こういうふうに梅やらっきょうをつけたりすると、季節や流れていく時間の中で、その時間の進行に沿って生きているんだなぁと思う。時間性と身体性がリンクするということはこういうことなのかもしれない。それは音楽性ということとも関係あるのだろうか。よくわからん。
四季の永遠回帰をリズムであるとすれば、季節の変転とともに生きることは、リズムという制約の中で、しかし制約であるからこそ、そこにリズムと音楽と身体性のリンクが生じるのかもしれない。

ところで、バラに変な虫が付いていた。どうやらバラによく付くゾウムシというものらしい。そういえば、鼻が長くてゾウっぽい。見つけ次第除去するしかないようだ。